06*Jのママさん〈後編〉/よしのももこ

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Jの2階はママさんの部屋になっていて、壁一面の本と、猫の気配と、小さなオーブンのほかには余計なものがほとんどない素敵な空間でした。その部屋の入り口の前にタイムカードが置いてあったので、帰り際ママさんに声をかけて部屋に入って話をすることはいくらでもできたはずなのに、私はそれをしなかったのです。ただ一度、頼まれた道具を取りに入ったことがあっただけでした。

Jで働き始めてだいぶ経ったある蒸し暑い日の午後、私はマスターと2人で狭いカウンターの中に立っていたのですが、気圧の変化かなにかで気が上がってしまって、動悸がしてきたのです。次第に目の前もチカチカし始めて、マスターに何か話しかけられても心ここにあらず。自分のからだを起立させておくので精一杯でした。お客さんがいたのかどうか、接客をどうこなしたのかも、まったく思い出せません。

からだの異変とともに時計の秒針の進むスピードもどんどん遅くなり、1分が途方もなく長く感じられます。意識の焦点が合う範囲が絞られてゆき、絞られた分だけその一点がどんどん膨張して圧力を増し、今にも破裂する!というその瞬間、

ふと気づくと隣にいたはずのマスターの姿はなく、カウンターの外からママさんが私をのぞき込んでいたのです。

「気が上がったときはね、」

唐突に、ママさんが言いました。あ、そうか。私は気が上がっていたんだった。でも何でママさんがそれを知っているんだっけ?と、ボーッと突っ立っている私の背後にママさんは素早く回り込むと、脇の下の水掻きのような部分を思い切りつまんでグイッと下にひっぱりました。

「こうするといいのよ。」

そうしたら本当に頭に上がっていた気がすっと下がったようになって、私は正気を取り戻したのです。いつの間にか2階から降りて来て、私の異変を察知してくれただけでなく対処法まで伝授してくれたママさんは、「あんたは、私に似てるから。」とだけつぶやくと、それ以上何も言いませんでした。

それから15分くらいの間、店内には私とママさんの2人だけ。2人きりで話すことは今までなかったから、嬉しいんだけど何から話せばよいのかわからなかったのですが、とにかくママさんが毎日焼いているニューヨーク焼きチーズケーキが今まで食べたどのチーズケーキよりもおいしくて大好きだってことを伝えたら、ママさんはさらっと、「いつでも作り方教えてあげるよ。簡単だから。」と言ってくれたのです。「この人に、教わりたい!」と感じた生まれて初めての体験でした。そこへ遅番のアルバイトの子が降りて来て、私とママさんの会話の空間はさっと閉じました。

その後も相変わらず私はママさんの部屋に入れないままで、ケーキの焼き方を教わりにも行けないまま月日が過ぎて行きました。ママさんは少し体調を崩して店に出られない日が続くようになり、私はますますママさんの部屋を訪ねることを遠慮していました。

今ここから眺めてみれば、あの頃の私は“この店に入っていい人”から始まって、“ママさんの部屋に入っていい人”だの、“ケーキの焼き方を教えてもらっていい人”だの、この世に存在しない資格のようなものを自ら作り出していただけなのがよくわかります。ひとの懐に、どんな風に飛び込めばいいのかがわからなかったのです。「ひとがそれぞれ設定した境界線を無断で越えて、そのひとのエリアを侵してはならぬ!」という謎の思い込みが太い手綱となって、自由に走り出そうとする私を背後から常に制御していました。私が今いる位置からなら、その手綱を握っているのが自分だってことが丸見えなのだけれど……。

そして、私がそんな独り芝居を全力で演じている間に、ママさんはこの世から引き揚げて行ってしまったのです。最近ちょっと具合が悪いみたい、というのを聞いてから、あっという間のことでした。

ちょうどその頃、近所の中学校の図書室で1年間働くことが決まり、Jのウエイトレスとして過ごさせてもらった日々は終わりを迎えました。最終日、額縁の中のママさんの写真に挨拶しようと2階の部屋を訪ねると、その部屋に私を入らせなかった“何か”はもうすべて消え失せていました。驚くほど普通の生活空間がそこにありました。ああ、もっと早くここに来ればよかったな。最後の日にもまた同じ言葉をつぶやく羽目になるなんて、まったくマヌケな話です。

ママさんの後を追うようにしてマスターもこの世を去り、Jのドアが開くことはなくなってしまいました。惜しむ声はたくさんあったけれど、一代限りで終わらせたいというのがマスターの考えだったのだそうです。1年ちょっとの僅かな間、閉じる間際のJという空間と私がリンクしたことはまったく有り難いことで、ただただ神に感謝するほかありません。

あの蒸し暑い日の午後に天から与えられたママさんとの数十分間のことを思い出すたびに、私のからだの中心で光の柱がブーンと振動しているような感覚になります。その感覚は、ママさんという存在を通して私に伝授されたものが確かにあることを思い出させてくれるのです。

エンデが「はてしない物語」の中に書き記したアイウオーラおばさま ――「変わる家」にバスチアンを迎え入れ、自分の身に生った果物をもいで与えたあの女性―― のように、ママさんはあのとき、家のドアを開け放して、私をその中に迎え入れてくれたのだと思います。私には食べきれなかった果物もたくさんあったなーという後悔の念もいちいち湧いて来るけれど、そのたびに「そんなの、どっちだっていいじゃない。食べたいときに、必要なだけ食べたらいいんだから。」という言葉がママさんの声で再生されて、私は再びなにもないところに立ち返ることができるのです。


2016-07-26 | カテゴリー どこにもないエリアで会いましょう |