03*ブロンド狂想曲 / 内澤旬子

一昨年秋から一年間、金髪にしていた。生涯のうち一度くらいは金髪にしてみようと思ってのことだ。

たぶん一番金髪にしたいと切望していたのは、高校生のときだろう。好きなバンドのライブに行くのに、すこしでもカッコつけたい年頃。ライブハウスの前に並んで整理券片手に待つ間に、あの人のコートかっこいいな、あの人の帽子かわいいな、あのひとみたいになりたいと、キョロキョロしていたものだ。そして一番の憧れはステージの上のあの人で、あんなふうになりたい、いや違う。同じになりたいわけじゃないけど、同じような雰囲気を纏いたかったのだ。それにはあのコートが欲しいし、髪の毛も金髪にできたら……。

実際には部分的にオキシドールで脱色していただけである。親も厳しかったし、比較的自由にさせてくれた学校とて、金髪までは受容しないのはわかっていたので、挑戦もしなかった。

それに当時は実のところ髪の色よりもその前段階、髪型をなんとかするだけで精一杯で、それよりなによりまずは服!!なんとかかっこいい服を着たくて、少ない予算で買いたくて、そこに煩悩のほとんどが集中していた。

「肩まで伸ばすんなら、髪の色を茶色くしなきゃ」
大学一年のとき、同じサークルの美女がつぶやいた。実家が美容院であることも関係していたのだろうが、もっさい人しか集まらない大学なかでたったひとり、美人である上に飛びぬけてお洒落だった。コムデギャルソンもワイズも、彼女が着ているのを見てはじめて実物を知ったという次第である。後から値段を知るにいたって、ひっくり返ったのであるが。

当時、髪の毛を明るい茶色にする人は、ヤンキーかロックをやってる人というのが私の認識。実際はどうだったか覚えていない。でも誰も彼も女子高生たちまでもが茶髪になったのはずいぶん後の九十年代後半のことだったし、八十年代後半のあの頃、一番流行っていたのは黒いストレートのロングヘアだ。太い眉と真っ赤な唇とともに女子大学生の半分くらいが黒のロングだったんじゃないだろうか。

○○さんは髪伸ばさないの?と何の気なしに聞いてみたときに返ってきた言葉に、だからとっても驚いた。

「へ、なんで茶色に染めるの??」
私は真顔で問うたはずだ。
「だって、重くなるでしょ。バランスが悪いもの」
「へ、なんで??」
なにもかもが未知の考え方だった。バランス??それが茶色くすると軽くなる???はあ????

いやはや彼女は正しかった。四半世紀を経て、金髪になった自分の全身を鏡に映して、ようやく身をもって納得したのである。

どっちかというと心を軽くしたかったんだが、それよりも頭部が著しく軽くなってしまった。それにつられて、心もそこそこ軽くなったので、まあヨシとしよう。

なにしろ服を選ぶのがラクだ。たいして気を使わなくても、決まる。抜け、もしくは締めを考えなくて済むといえばいいだろうか。

思春期に真っ黒ずくめの服が大流行したがために、黒っぽい服ばかり選ぶクセがどうしても抜けない。全身徹底して真っ黒にすればまだいいのかもしれないが、今の自分の気分ではない。なのに無駄に黒の配合率が高くなると、どうにも重くぼやけたスタイルになる。黒は一点に押さえるか、全身黒っぽくなるならば差し色をどこかに入れるとか、常に意識してきた。

それが金髪にしたことで、なんにも気を使わずに上下黒ずくめになったとしても、グレーが混ざった黒っぽい格好になったとしても、あらまあ、簡単に決まってしまう。すっと抜けがいい。髪が差し色になってくれたみたいなのだ。すごい、なんてラクなんだ。

頭って重かったんだなあ。思わずZARAで黒いコートを衝動買いしてしまった。そういえばZARAの店員さんはみんな黒い服を着てたけど、全員髪の色がかなり明るい茶色だった。今年はどうなのか知らないけれど。

もちろん金髪にしていいことばかりだったわけではない。とにかく痛かった。そもそも肌が弱いのだ。アトピーだったのだ。いまのところ調子がいいから、またアトピーが再発しないうちに、一回くらいやってみようと思ったくらい、弱い。

はじめに脱色したときには、薬剤も豊富に必要だったためか、地肌が痛みすぎて同じ日に色を被せることができず、三日待って頭皮が落ち着くのを待って色を乗せることにしましょう、となった。頭皮がピリピリして、これ以上の施術を頑として拒んでいるのは、自分が一番よくわかる。

一晩寝て起きたら枕にぎょっとする量のふけが落ちていた。慌てて鏡で頭皮を見ると、びっしりと皮が浮いている。怖い。ここまでしてやるほどのことなのか??という思いが頭をよぎったが、もう抜いてしまったんだから仕方ない。幸いなことにかゆくもなく、頭皮はひと皮剥けたらおさまってくれたようだ。

しかしただ単に脱色したままだと、なんというか、あんまりお洒落な色ではない。ヤンキー風味漂う。これに色を乗せることで、かっこいい金髪になるのだと美容師さんは言う。金髪は一日にしてならず、か。

で、おしゃれと関係ない話だけれど、この脱色しただけの髪だったときに、面白いことが起きた。その日の私の格好は、GAPのちょっとユーズド加工されたGジャンに、中は黒いてろんとした素材のブラウスだったか。下がマウジーの黒いデニムのロングタイトスカート。後ろに膝上までスリットが入っている。で、網タイツ。靴だけお高くてセルジオ・ロッシの黒に薄めのゴールドの細かい加工が入ったプラットフォームブーティ(お宝である)。ヒール高九センチ。つけまつげもつけていた。髪がキンキンに明るいもんで、これくらいしてもおかしくないというか。

で、なにをしてたのかというと、ミスタードーナッツで原稿を書いていたのである。たかだか住居から歩いて五分の場所に行くのになぜつけまつげまで付けたのか、さらっと書いたけどマウジーなんて、ほぼギャルなブランド(こまかく言うと元ギャルの大人の女をターゲットにしているようなのだが、干支一回り以上違う私からみればギャルも元ギャルも区別がつかない。しかし着やすいと思うということは、やはり大人っぽいのかも)を、四十路の中年が着ていいのか、つっこみどころは満載であろう。

別に言い訳もない。金髪に合わせて服を選んでいたらこうなったというだけである。自分基準では似合っていたと思う。

うつむいてカチカチと原稿を打っていて、なんか周りがうるさいなとは思っていた。私服であるけど、どうみても高校生の男子五人くらいがわさわさしている。一度店から出て行ったと思ったら、また戻ってきやがった。るっせーな……。ん? あれ? 気のせいかもしれないけれどあたしのことを見てる?

気のせいではなく、声をかけてきて、まあ、つまりは、ナンパだったのである。

その間も私はずっと下を向いて原稿を打っていた。顔を上げたら、さすがに射程距離にいない歳だってことはわかるだろうし(いや、パソコンを打ってる時点で察してほしかったが)、歳がわかったら、そりゃ驚くだろう。君たちの母ちゃんと変わらないのだから。下手したら歳上だ。トラウマだろう。怪談だろう。

しかしなにより私自身、顔上げて彼らに見せた瞬間に、たとえ子どもであろうと男子に顔色なくしてドン引きされたり、蜘蛛の子散らすように逃げられたら、平然としていられるかどうか。トラウマを植えつけてやったわ!とげらげら笑えるならいいんだけど、わからないけど、もしうっかり傷ついてしまったら、傷ついた自分を許せない気がするなあ。

というわけで、チキンな私はそのまま顔を上げることなく、彼らが諦めて出て行くまで沈黙を貫いたのであった。

金髪は、どちらかというと女性受けがよかった。で、一部の男性にはピンポイントで歓迎された。不思議である。毎月すこしずつ乗せるカラーを変えて、グレーっぽくしてみたり、色味を変えたりしてもらった。黒髪に乗せるのと違って、カラーがダイレクトに出る。美容師さんたちもわーやっぱり色が綺麗にでますねーと、楽しんでいたようだった。

自分も鏡をみるたびに楽しくて、とくに違和感を感じることもなかった。一度だけ、親族の法事に出たときにだけは、すさまじく居心地が悪かった。黒づくめに金髪がいいのは街の中だけで、喪服となるとどうにもおさまりがつかないものだから不思議である。

しかし維持は大変であった。脱色した髪は、時の経過と共にリカちゃん人形の髪の毛のような手触りとなり、セットができなくなった。ドライヤーをかけて伸ばしても言うことをきいてくれないのだ。

それに根元が延びてくれば、髪色が明るければ明るいほど、目立つ。一センチも伸びようものなら大変だ。そして私は髪の伸びが異様に早い。一ヶ月経って美容院に予約を入れるのでは、遅い。となると、美容院代も馬鹿にならない。しかもカットして脱色してから色を入れるので、時間も四時間くらいかかるのだった。

極めつけは、一ヶ月の間に地方取材が四箇所あって、最後に足を骨折したことだった。どうやっても美容院に行く時間がとれない。髪はどんどん伸びて根元が黒くなっていく。出張が終わったら行こうと思っていたのに、骨折してギプスをつけて絶対安静になってしまったのだから、どうしようもない。ギプスがとれてからも、しばらくは歩くのがものすごく大変だったので、とても地下鉄に乗って銀座の美容院まで行けない。というか治療に通うので精一杯の生活だったのだ。髪の毛のことは二の次三の次とならざるを得ない。

階段の上り下りがなんとかできるようになってすぐに、美容室に予約の電話を入れて、(一番はじめの)脱色部分を切ってもらうことにした。ああ、久しぶりのまともな髪の毛の感触。指が通る快感。色も僅かに茶色を入れてもらっただけ。地肌も痛まない。やれやれと一息ついた。

というわけで約一年の金髪生活に終わりを告げた途端、またもや服の色合わせのどこに抜けを作ればいいのか、苦悩する日々が始まったのであった。ああ、金髪は楽でよかったなあと懐かしみつつ、今日もまた服の色合わせに腐心しているのであった。


2013-05-10 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり |