02*ハイヒール入門 2 / 内澤旬子

いまの若い女の子は、歩き方がかっこ悪い。二十代の頃だからもう二十年も前のことだが、四十くらいの同業先輩女性に言われたことを 覚えている。膝が曲がったままガクガクして歩くからダメなのよ、と。たしか一緒にクラシックバレエの舞台を見に行った帰り、バレエダ ンサーの歩き方について話していて、そんな話になったのだった。

バレエダンサーたちは、足を完全にターンアウト、つまり外向きに百八十度開いて踊るように小さな頃から訓練する。踊っているときに は、それが美しい動きを約束する。舞台が終わってカーテンコールで出てくるときは、別に踊っているわけではないのだが、足が完全に開 いたまま、つま先より踵を押し出すような歩き方をして出てくる。もちろん舞台の上なのでそれが素敵なのだ。ただそのとき聞いた話で は、バレエダンサーはそういう歩き方が身についてしまって、普段外を歩いているときも足をターンアウトさせていているのだとかなんと か(本当かどうかは知らない)。それはちょっと異様かもしれない。でもそもそも歩き方が綺麗な人って少ないよね。なのにハイヒールを 履くなんて、十年早いのよ……と。

 
たしかに言われてみれば、膝が曲がったままで歩くと、腰の位置がひょこひょこと上下する。たいへん格好悪いです。モデルなど、歩きの プロの人たちを見ると、たしかにぴしっと膝裏が伸びている。

十五年ちかく忘れていた彼女の言葉が、ヒールで歩く練習をするようになってから亡霊のように頭の隅をちらつくようになった。膝ね、膝 を曲げないようにしないと。

しかし、なぜなんだろう。ヒールのある靴を履いて膝を曲げないように歩くには、歩幅が半分くらいになっちまうのだった。ものすごい回 転数で足を動かさないと、全然前に進まないではないか。ちょっと急ごうと気を抜くと、あっという間に膝が曲がり、腰が落ちてしま う。……なんで??

女性誌では、しょっちゅう綺麗な歩き方が図解入りで載っているわけで、もちろんこちらも立ち読みだけど、見つければとにかく読んで参 考に取り入れる。一直線歩きを試してみたりもした。

よく言われるのが、頭のてっぺんに糸がついてて、その先に風船が浮かんでるとイメージするというやつ。鏡の前でイメージして首からな にからすうっとまっすぐ立ててみる。おお、たしかに自分は相当縮んでいたんだなとわかる。しかし、しかしである。「すっとまっすぐ」 を長時間保持することは不可能なのだ。気がつけばしゅるんと縮んでいる。形状記憶猫背だ。

どうしたものか。そりゃもう頻繁にチェックするしかない。ということで、ヒールの靴だけでなく、町を歩くときは常にガラスがあれば歩 いている自分の姿勢をチェックする。亀のように首が前に出てないか。膝が曲がってないか。腰が落ちてないか。ナルシストと思われてる かもしれないけれど、しょうがない。

だいたいいつも首は亀、膝と腰は猿になってるので、ガラスのあるところだけ、ひょくっと全身を伸ばす。そして意識が残る間はまっすぐ 上に伸びて歩き、だんだんと亀と猿に戻っていく。またショーウィンドウがあるところに来て、伸ばす。この繰り返し。虚しくなるくら い、何年経っても変わらずにこの繰り返しなのである。はああああ。だめだこりゃ。

あれ、上に身体を伸ばして歩くのがラクにできてないか?
歩き方を意識してから十年くらい経った頃、突然気づいた。

その間にものすごく具合が悪くなって、伸ばすどころか普通に歩いてなにかすることすら難しくなっていた時期があった。このまま寝たき りになったらどうやって生活していけばいいのかという恐怖に襲われ、ヨガをはじめて三年くらい経っていただろうか。

正体は筋肉だった。ヨガを始めてまずゼロに近かった腹筋と背筋が、僅かながらであるけれど、ついてきてくれたのだった。中年すぎては じめたところで、筋肉なんかつかないと思っていたのに、いくつになってもやればそれなりにはつくものらしい。

こんなに違うのかというくらい、姿勢良くしていられるようになった。そう、むかーしから姿勢が悪い悪いとうんざりするくらい叱られ続 けてきた。思春期はやせぎすの体型がばれるのが嫌で嫌で、姿勢を悪く悪く、縮こまって生きていた。しかし思春期を過ぎてみれば、姿勢 良くしたほうが、服の着こなしもかっこよく見えるという自明の理に気づく。

で、気づいたところで、長年染み付いた身体のクセを抜くのは容易ではないのだった。姿勢良くしたくたって、長らく縮こまっていたせい で、背筋も腹筋もなんにもないんだから、どうにもならない。

ヨガのあのポーズが効いたとか、そういうことではないと思う。ただ週に二回も三回も、身体を(ヨガとして)正しい位置に頭、肩甲骨、 骨盤、足と並べて立ったり、胡坐になって上半身を立てて、しばらく深い呼吸をすることで、身体が姿勢良くすることにすこしずつ慣れて いったようなのである。

とはいえ、まだまだ美しい歩き方にははるか遠い。ヒールをはいて膝をガクガクさせずに歩くことができるようになったというだけ。歩い ているときにぐっと腹に力が入るのがわかるようになった。

でもなーんかギクシャクしてんだよなあ。
ウィンドウに映る姿にダメ出しをする。特にヒールが九センチになるとダメだ。

ヨガをはじめて五年目に、クラシックバレエも始めた。他誌の連載で書いているので理由と詳細は割愛。いろいろと一筋縄ではいかないハ プニングが続きながらも、筋肉の量は、腹筋背筋だけでなく、まんべんなく確実に増えたのだった。で、結果的に以前より綺麗に歩けるよ うになった。すごいな筋肉……。この頃になると、アキレス腱もギンと浮き出るようになった。うれしい限りである。

ヨガは立位のポーズもあるけれど、おなじくらい寝たり、座ったり、逆立ちしたり、四つんばいになったりするポーズがある。一つのレッ スンで上半身を立てている時間は、そう長くはない。しかしバレエでは、バーレッスンにセンターレッスン、そしてアンシェヌマン (ちょっとした踊り)、すべてガチッとスラリッと天に向かって身体を立て続けていなければならないのだった。

どこにどんな筋肉が必要なのか、私もまだよくわからないし、二年目にはいったところで踊りどころかポーズすらまるっきり出来てないの はわかっているので、えらそうなことは言えない。ともあれ、姿勢だけはさらに良くなったのである。ありがたや。
 

バレエとヨガ、たぶん立ち方も重心の置き方も違うし、どちらもまだちゃんとできているわけでもない。しかしともかく猿のように背中を 丸めているのがデフォルトの生活から、背骨をまっすぐ立てている状態を長時間維持していられるようにはなった。もうそれだけですごい じゃないか。そんなある日のこと。

ヨガの先生と雑談していて、どんなにポーズができるようになっても、ウリアナバンダつまりは丹田のバランスがとれずに揺れている人 は、見ていてすぐにわかるのだという話になった。へえ、そんなもんですか。

それはね、どんな動作でも同じなの。いま趣味で水泳を教わってるんだけど、水泳って手をこう動かすとか、足をこうするとか、いろいろ 考えて動かすじゃない? 違うんだって。身体の芯をまっすぐに前に進ませるつもりでいればいいんだって。それでね、そう意識してみた ら、ものすごく泳ぎやすくなったの。

それはヨガで既に身体の芯がぶれない身体になっている先生だからこそ、できるんじゃないかなあ。歩くときにも応用できるよと言われ て、腰の丹田をまっすぐ前に運ぶように意識して歩いてみた。

うわなんだこれ!! 驚くほど足がラクに前に出る。気にしなくても膝裏も伸びている。いままでの苦労はなんだったのかしらと言うくら い、すんなりと歩ける。頭に風船がついてるつもり、ではどうしても味わえなかった感覚。ウィンドウに写しても、自然に綺麗に見える ぞ!

ひゃー。ここまで来るのにほぼ十五年……。長かった。長すぎて呆然とする。せめてあと十年前に到達したかったけど。でもどんなに歳 をとっても綺麗に歩けたほうがいいに決まってるから、いいのだこれで。

気を抜くと身体の芯がぶれてしまうので、まだまだなんであるが、これなのかしらんという手ごたえがある。

去年は怪我が続いてほぼ一年間、ハイヒールをお休みしたのであるが、ローヒールでの歩行訓練は怠っていない。今年は怪我を治して、 中ヒールから復帰してぐっと芯を意識して綺麗に歩けるようになるつもりである。


2013-01-05 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり |