01*ハイヒール入門 1 / 内澤旬子

はじめてこの服は私に似合ってると思えた時の快感を、いまも覚えている。

子どものとき、服は母と買いに行き、母がこれがいいというものを着せられていた。母が楽しそうに買ってくる時もあれば、作ってくれることもあった。ピアノの発表会、夏休みの旅行、卒業式、お楽しみ会、母の選ぶワンピースは、いつも落ち着いた色ながら、地味すぎず、派手すぎず、今思い返すと母は品の良い服を選びたかったのだろうが、客観的には無 難な服が多かった。ただ、母がとても楽しそうに私の服を選んでいたので、私もつられて楽しくなったものだ。これがどうしても着たいと泣きわめいたりとか、そういう経験は一度もない。

中学2年生の夏、学校行事の二泊三日のキャンプがあり、私服が必要になった。母と連れだって駅前のジーンズショップに出かけた。しかしさすがに私も13歳になって、子ども服を母に選んでもらう歳でもなく、かといってクラスの一部のきらきらした女の子たちのように、少女向け雑誌を片手にお洒落に夢中になっていたわけでもなく、さてどうしようとぼんやりとまどっていた。

気恥かしさが先に立つ性分は生来のもの。もじもじしていると、店員さんがポロシャツとジー ンズをいくつか見繕って持ってきてくれた。そのころ流行っていた紺と白の細い細いストライプの、あれはなんと呼ばれていたのだっけ、ゆったりめのパンツに、キャンパス地のベルトを通して試着してみた。

あれ?あれ? なんかかっこいい人みたいだ、私。足がすらっと長く見える。ふわっと、気持ちがあがった。

当時のキャンプの写真を今見ると、これがとんでもなくもっさい格好なのだった。ウェスト位 置も、ポロシャツの肩のくりも、今の流行からはかけ離れていることもあるけれど、それだけではなく、どう見たってどうということ もない服だ。それでもあの時の私にとっては、その着こなしは、大人っぽいというのは言い過ぎだが、子ども服から脱することができて、しかもなんか自分がかっこいい人みたいな気分を存分に味わえた、はじめてのものだった。

中学入学当時、129センチ、29キロしかなかった私の身長体重は、中学卒業時には159センチ、39キロにまで増大する。中学2年の夏は、たぶんその中間あたり。あの年頃にチビでガリガリであるということは、それだけで人より劣っているように思えたものだ。そのうえ運動神経もまったくなくて、かっこいいとは程遠い自分であることは、わかっていた。けれども、だからこそ、すこし身長が伸び始めた身体に着たその服が、すこしだけ自分を底上げして見せてくれてるみたいで、 ものすごく嬉しかったのだ。

嘘つきはおしゃれのはじまり、のはじまりである。

あれから31年という月日が経って、髪には白髪、顔には染みと皺、身体の肉は重力に抗う弾 力もなくしつつあるというのに、だからというか、あいかわらずというか、私は懲りずに自分にうそをついて装う。これと思う服を試 着して、鏡の前であがる気持ちを期待し、愉しむ。そういう気持ちをずっと維持してきたわけではない。服を着る、装いたいという気 持ちは、暮らしのなかで肥大したときもあれば、枯れしぼんだときもある。今だってちょうどバランスよくやれてますとは、お世辞に も言えない。時として自分でもあきれるくらい暴走してしまい、後悔することもしょっちゅうだ。

お洒落の達人というには程遠いものの、それでも日々の装いを巡る苦楽について、これから書き綴ってみようと思います。どうぞよ ろしくお願いします。

20代前半からおよそ20年、膝下を出したことがなかった。脚が太くて湾曲していたから だ。スカートならはマキシ丈、ほとんどパンツばかり穿いていた。以前単行本でも書いたように、O脚はながらく自分の中で最大のコ ンプレックスであり、なにをやっても治らんものと、二十歳になるころには諦めていた。れでもマキシ丈のスカートを履き、細めの タートルネックのセーターを着れば、下半身の都合の悪い部分がすべて隠れ、結構いい感じじゃなくって、あたし、という気分になれ たんで、それで満足していた。

で、15年くらい放置していたら、脚はどんどん太くなり、足首までも肥大してきたのであっ た。

脚が太いんだと誰かに漏らすと、そんなことないでしょうと、かならず笑われたものだ。そ りゃあ脚だけ切って他の人の脚と一緒にぞろっと並べてみれば、すさまじく太いというわけではない。しかし私の上半身はとんでもな く細かったのだった。細いというよりも、筋肉がまるでなくて、骨に皮が乗ってるだけという具合。ガリガリの上半身につけると、私 の脚は異様に太く見えたのだ。

服を着る上でなにが大事かといえばそれは比率。巨乳かどうかは胸囲とウェストの差がいかほ どあるかが物を言うと書いていたのは一条ゆかりだったと思うが、脚だってそうなのだ。針金みたいな腕にこの足首では、どうにもな らん極太となる。

それにしても高校生くらいまでは脚は曲がっていたものの、細かったのだ。上も下も均一に肉 と脂肪がついてくれるんならいいのに、なにがどう作用したのか、上半身は何を食べても太らず、ウェストから下ばかりがどんどん太 くなっていく。

30代後半になるころには、いくらマキシスカートを履いても、足首がどしっと太いのが耐え 難いほど気になりだした。隠してる部分が多ければ多いほど、見せるところに目がいくのは自然の理。ウィンドウに映る自分の姿を見 ても、足首ばかりが気になる。一度気になると止まらない性分。このままいくと、いずれ太めのパンツしか履けなくなるだろう。さす がに、それはさみしいではないか。なんとか足首くらい細くならないものか。いや、細く見えるなにかいいワザはないか。細くなく たって細く見えればこの際どうでもいい。

ヒールのある靴に挑戦してみようかな。ちょうどながらく患っていた腰痛の具合が比較的よくなっていたことも大きかった。踵を持ちあげると足首は細くみえるのだから、ずっとつま先立ち状態を維持するハイヒールを履いていれば、足首は細く見えるだけでなくて、ひょっとしたら多少は締まってくれるんじゃなかろうか。

一般の感覚とはずれるのかもしれないが、私は足首はバックだと思っている。大学生の時、座禅に通っていて、修行僧のアキレス腱がぎゅうっと浮き出た足首の形に惚れこんだのだ。座禅をしているときは半眼といって、瞼を半 開きにして斜め下あたりに視点を定める。すると警策棒を持って、眠りこんでいる参禅者の肩をたたくためにのしのし歩きまわる指導 僧の足首がみえるのだった。洗い込んで色あせた袴から見える脛と締まった足首にぎゅっと浮き出たアキレス腱が、この上なく美しく見えた。

座禅に行って煩悩を増やしてしまったわけだが、アキレス腱は男性の魅力として自分に作用し たというわけではない。ある種の理想的なフォルムとして、私の中にカウントされたのだ。以降、男女問わず、アキレス腱が綺麗に がっつり浮き出る脚を求めて、街中でも目を光らせるようになった。そして自分もそのようなアキレス腱がくっきり浮き出た足首が欲 しくてたまらなくなったのだ。

しかし鏡に映す私の足首はもたっとしていて、どこにアキレス腱があるのやら皆目わからない。そもそもふくらはぎも脛も気に入らないわけなんだが、そんなことを言い始めたら身体中どこもかしこも気に入らないのだ。とりあえず前向きに、どうしても気になる足首をなんとかしようではないか。

アキレス腱が浮き出る踵の高さとは、どれくらいだろう。

足首を鏡に映してつま先に重心を置き、踵を1センチずつ上げて行く。私が観察したことこ ろ、アキレス腱の出具合いは、男性は比較的誰でも出ているのに対して女性は相当な個体差があるため、以下の計測値もきっと個人によって違うかもしれない。踵の上がり具合が5センチから7センチくらいがちょうど良いようだ。面白いことに9センチ以上上がってしまうと、アキレス腱はまたすね肉に埋もれてしまうのだった。

よし。5センチから7センチのヒールを買おう。まずは靴屋に行って、片っ端から履いてみることにした。いろいろ履いてみては数 歩歩く、を繰り返した末に、7センチのミュールを選んだ。かかと部分だけが開いているつっかけサンダルみたいな形なのだが、つま先部分の形、ヒールの厚みと高さ、靴底の曲がり具合の バランスがとても綺麗でかつ履いてみても苦しくなかった。そしてグレーがかったピンクベージュの色が素敵だった。

とはいえほとんどはじめてのヒールなのだから、履きやすさのコツがわかっているとはいえない。しかしそれは数を履きこなさなければわからないものなのだろうから、今あれこれ吟味しても無駄。一応窮屈でなく脚を踏み出せて、綺麗な色形をしてるということで手を打とう。

それにしても美しいヒール靴というものは、見ているだけで幸せな気分をくれる。決められた 用途の中で、しかもきちんとその機能をふまえた上で、色、風合い(素材)、形のバランスを「絶妙」と呼べるまで追及したもの、もはやコンマ一ミリたりとも動かせない、「こうあるべき」姿をしたものが、私は大好きなのだった。鼻血が出るほど興奮するのだ。一 方で本来美しくあるはずなのに、あまりにもおざなりに作られたものを見ると、悲しくなる。ものづくりに予算の問題があるのはわかる。わかるけど、予算内ででも、もっといいバランスを出すことは、できなかったのかなあ、これじゃ靴の形してりゃいいってだけの、靴じゃないかと、思う。いやまあ、それでも履きやすければいいのだ。それはそれですごいこと。しかし履きやすさという機能も 見た目の美しさもなんにも求められない靴も、どういうわけか、これだけ市場経済が発展した世の中でも、結構あるものなのだった。 いやまあたぶん、そういう靴が欲しい人もいるってことなんだろう。

話がどんどん逸れるのだが、もう少し脱線。私とてロクに履きもしないのに、靴の形の良しあし(履きやすさではない)にはじめからここまでこだわっていたわけではない。

あれはまだ20代前半の頃。ヨーロッパに貧乏旅行に出かけていて、文字通り仰天したのだ。いわゆる日本の雑誌に載るようなお洒 落なブティックに行かずとも、ベルリンのユースホステルの近所の裏通りのどうということない靴屋にならんだ、普通の黒の婦人靴が、カッコよかったのだ。どこがどう、というのはわからない。だって普通の黒のヒール靴なんだもの。それに靴の形なんて今までそ こまで意識したこともなかったのだ。なのにどこかが違うと気付いてしまった。私がいままで見ていたヒール靴って、カッコ悪かったんだ……。

一足でも買って帰りたいところだったが、悲しいことに、履きつけない上に脚の形が合わない しお金もないし荷物になるしで、断念した。

それ以来、履きもしないのに、ヒール靴を見る目が厳しくなった。さすがに自分で履かないの でめったに靴売り場にはいかないものの、女性雑誌に載るヒール靴をまじまじと眺めては、踵の丸みとヒールのそり具合、つま先の形、甲の出ている面積などのバランスが絶妙な、美しいヒール靴を無意識に探すようになっていった。

この25年で、日本製の靴のデザインは格段に良くなった。見違えるほど良くなった。ヨーロッパの国でブランド展開している日本人デザイナーだって登場してきているし、オーダーメイドで履きやすくエレガントな靴を作る ショップもでてきた。なにより値ごろの普通の靴のデザインのレベルが上がったように思う。

おそらく、二十数年前に円高バブルの時代の恩恵を受けて、ヨーロッパに飛び出した沢山の若者たちのなかに、私と同じことを思った同輩が沢山いたのではないだろうか。

で、仰天しただけじゃなくて、かっこよくて綺麗に見える、それでいて使いやすい靴を作ろうと決心した人たちがいるような気がしてならない。

話を戻すと、ヒール靴を買ったその晩から、歩行訓練をはじめた。はじめは夜ゴミを出しに行くだけ。それからすこしずつ遠くへ、夜になるとひとりでてくてくと道路の白い線を踏みながら、まっすぐ歩くようにした。カッコ良く歩くなどというレベルの話ではない。とにかく脚を7センチヒールに慣らすだけ。つま先が痛くなる前に引き返す。

夜風に吹かれて、ひとりてぶらで、ふらふら歩く。いつも持ち歩いている重いバッグから解放 され、7センチ高くなった視界で、ふわふわと雲の上を歩くように進む。これまでの景色がまるで違って見えるのが新鮮で、楽しくて仕方がなかった。ハイヒールを履いて綺麗に歩くということが、自分にいかにとって難しいことなのかがわかるのは、もっとずうっと 後になってからのことである。


2013-01-01 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり |