嘘つきはおしゃれのはじまり

03*ブロンド狂想曲 / 内澤旬子

一昨年秋から一年間、金髪にしていた。生涯のうち一度くらいは金髪にしてみようと思ってのことだ。

たぶん一番金髪にしたいと切望していたのは、高校生のときだろう。好きなバンドのライブに行くのに、すこしでもカッコつけたい年頃。ライブハウスの前に並んで整理券片手に待つ間に、あの人のコートかっこいいな、あの人の帽子かわいいな、あのひとみたいになりたいと、キョロキョロしていたものだ。そして一番の憧れはステージの上のあの人で、あんなふうになりたい、いや違う。同じになりたいわけじゃないけど、同じような雰囲気を纏いたかったのだ。それにはあのコートが欲しいし、髪の毛も金髪にできたら……。

実際には部分的にオキシドールで脱色していただけである。親も厳しかったし、比較的自由にさせてくれた学校とて、金髪までは受容しないのはわかっていたので、挑戦もしなかった。

それに当時は実のところ髪の色よりもその前段階、髪型をなんとかするだけで精一杯で、それよりなによりまずは服!!なんとかかっこいい服を着たくて、少ない予算で買いたくて、そこに煩悩のほとんどが集中していた。

「肩まで伸ばすんなら、髪の色を茶色くしなきゃ」
大学一年のとき、同じサークルの美女がつぶやいた。実家が美容院であることも関係していたのだろうが、もっさい人しか集まらない大学なかでたったひとり、美人である上に飛びぬけてお洒落だった。コムデギャルソンもワイズも、彼女が着ているのを見てはじめて実物を知ったという次第である。後から値段を知るにいたって、ひっくり返ったのであるが。

当時、髪の毛を明るい茶色にする人は、ヤンキーかロックをやってる人というのが私の認識。実際はどうだったか覚えていない。でも誰も彼も女子高生たちまでもが茶髪になったのはずいぶん後の九十年代後半のことだったし、八十年代後半のあの頃、一番流行っていたのは黒いストレートのロングヘアだ。太い眉と真っ赤な唇とともに女子大学生の半分くらいが黒のロングだったんじゃないだろうか。

○○さんは髪伸ばさないの?と何の気なしに聞いてみたときに返ってきた言葉に、だからとっても驚いた。

「へ、なんで茶色に染めるの??」
私は真顔で問うたはずだ。
「だって、重くなるでしょ。バランスが悪いもの」
「へ、なんで??」
なにもかもが未知の考え方だった。バランス??それが茶色くすると軽くなる???はあ????

いやはや彼女は正しかった。四半世紀を経て、金髪になった自分の全身を鏡に映して、ようやく身をもって納得したのである。

どっちかというと心を軽くしたかったんだが、それよりも頭部が著しく軽くなってしまった。それにつられて、心もそこそこ軽くなったので、まあヨシとしよう。

なにしろ服を選ぶのがラクだ。たいして気を使わなくても、決まる。抜け、もしくは締めを考えなくて済むといえばいいだろうか。

思春期に真っ黒ずくめの服が大流行したがために、黒っぽい服ばかり選ぶクセがどうしても抜けない。全身徹底して真っ黒にすればまだいいのかもしれないが、今の自分の気分ではない。なのに無駄に黒の配合率が高くなると、どうにも重くぼやけたスタイルになる。黒は一点に押さえるか、全身黒っぽくなるならば差し色をどこかに入れるとか、常に意識してきた。

それが金髪にしたことで、なんにも気を使わずに上下黒ずくめになったとしても、グレーが混ざった黒っぽい格好になったとしても、あらまあ、簡単に決まってしまう。すっと抜けがいい。髪が差し色になってくれたみたいなのだ。すごい、なんてラクなんだ。

頭って重かったんだなあ。思わずZARAで黒いコートを衝動買いしてしまった。そういえばZARAの店員さんはみんな黒い服を着てたけど、全員髪の色がかなり明るい茶色だった。今年はどうなのか知らないけれど。

もちろん金髪にしていいことばかりだったわけではない。とにかく痛かった。そもそも肌が弱いのだ。アトピーだったのだ。いまのところ調子がいいから、またアトピーが再発しないうちに、一回くらいやってみようと思ったくらい、弱い。

はじめに脱色したときには、薬剤も豊富に必要だったためか、地肌が痛みすぎて同じ日に色を被せることができず、三日待って頭皮が落ち着くのを待って色を乗せることにしましょう、となった。頭皮がピリピリして、これ以上の施術を頑として拒んでいるのは、自分が一番よくわかる。

一晩寝て起きたら枕にぎょっとする量のふけが落ちていた。慌てて鏡で頭皮を見ると、びっしりと皮が浮いている。怖い。ここまでしてやるほどのことなのか??という思いが頭をよぎったが、もう抜いてしまったんだから仕方ない。幸いなことにかゆくもなく、頭皮はひと皮剥けたらおさまってくれたようだ。

しかしただ単に脱色したままだと、なんというか、あんまりお洒落な色ではない。ヤンキー風味漂う。これに色を乗せることで、かっこいい金髪になるのだと美容師さんは言う。金髪は一日にしてならず、か。

で、おしゃれと関係ない話だけれど、この脱色しただけの髪だったときに、面白いことが起きた。その日の私の格好は、GAPのちょっとユーズド加工されたGジャンに、中は黒いてろんとした素材のブラウスだったか。下がマウジーの黒いデニムのロングタイトスカート。後ろに膝上までスリットが入っている。で、網タイツ。靴だけお高くてセルジオ・ロッシの黒に薄めのゴールドの細かい加工が入ったプラットフォームブーティ(お宝である)。ヒール高九センチ。つけまつげもつけていた。髪がキンキンに明るいもんで、これくらいしてもおかしくないというか。

で、なにをしてたのかというと、ミスタードーナッツで原稿を書いていたのである。たかだか住居から歩いて五分の場所に行くのになぜつけまつげまで付けたのか、さらっと書いたけどマウジーなんて、ほぼギャルなブランド(こまかく言うと元ギャルの大人の女をターゲットにしているようなのだが、干支一回り以上違う私からみればギャルも元ギャルも区別がつかない。しかし着やすいと思うということは、やはり大人っぽいのかも)を、四十路の中年が着ていいのか、つっこみどころは満載であろう。

別に言い訳もない。金髪に合わせて服を選んでいたらこうなったというだけである。自分基準では似合っていたと思う。

うつむいてカチカチと原稿を打っていて、なんか周りがうるさいなとは思っていた。私服であるけど、どうみても高校生の男子五人くらいがわさわさしている。一度店から出て行ったと思ったら、また戻ってきやがった。るっせーな……。ん? あれ? 気のせいかもしれないけれどあたしのことを見てる?

気のせいではなく、声をかけてきて、まあ、つまりは、ナンパだったのである。

その間も私はずっと下を向いて原稿を打っていた。顔を上げたら、さすがに射程距離にいない歳だってことはわかるだろうし(いや、パソコンを打ってる時点で察してほしかったが)、歳がわかったら、そりゃ驚くだろう。君たちの母ちゃんと変わらないのだから。下手したら歳上だ。トラウマだろう。怪談だろう。

しかしなにより私自身、顔上げて彼らに見せた瞬間に、たとえ子どもであろうと男子に顔色なくしてドン引きされたり、蜘蛛の子散らすように逃げられたら、平然としていられるかどうか。トラウマを植えつけてやったわ!とげらげら笑えるならいいんだけど、わからないけど、もしうっかり傷ついてしまったら、傷ついた自分を許せない気がするなあ。

というわけで、チキンな私はそのまま顔を上げることなく、彼らが諦めて出て行くまで沈黙を貫いたのであった。

金髪は、どちらかというと女性受けがよかった。で、一部の男性にはピンポイントで歓迎された。不思議である。毎月すこしずつ乗せるカラーを変えて、グレーっぽくしてみたり、色味を変えたりしてもらった。黒髪に乗せるのと違って、カラーがダイレクトに出る。美容師さんたちもわーやっぱり色が綺麗にでますねーと、楽しんでいたようだった。

自分も鏡をみるたびに楽しくて、とくに違和感を感じることもなかった。一度だけ、親族の法事に出たときにだけは、すさまじく居心地が悪かった。黒づくめに金髪がいいのは街の中だけで、喪服となるとどうにもおさまりがつかないものだから不思議である。

しかし維持は大変であった。脱色した髪は、時の経過と共にリカちゃん人形の髪の毛のような手触りとなり、セットができなくなった。ドライヤーをかけて伸ばしても言うことをきいてくれないのだ。

それに根元が延びてくれば、髪色が明るければ明るいほど、目立つ。一センチも伸びようものなら大変だ。そして私は髪の伸びが異様に早い。一ヶ月経って美容院に予約を入れるのでは、遅い。となると、美容院代も馬鹿にならない。しかもカットして脱色してから色を入れるので、時間も四時間くらいかかるのだった。

極めつけは、一ヶ月の間に地方取材が四箇所あって、最後に足を骨折したことだった。どうやっても美容院に行く時間がとれない。髪はどんどん伸びて根元が黒くなっていく。出張が終わったら行こうと思っていたのに、骨折してギプスをつけて絶対安静になってしまったのだから、どうしようもない。ギプスがとれてからも、しばらくは歩くのがものすごく大変だったので、とても地下鉄に乗って銀座の美容院まで行けない。というか治療に通うので精一杯の生活だったのだ。髪の毛のことは二の次三の次とならざるを得ない。

階段の上り下りがなんとかできるようになってすぐに、美容室に予約の電話を入れて、(一番はじめの)脱色部分を切ってもらうことにした。ああ、久しぶりのまともな髪の毛の感触。指が通る快感。色も僅かに茶色を入れてもらっただけ。地肌も痛まない。やれやれと一息ついた。

というわけで約一年の金髪生活に終わりを告げた途端、またもや服の色合わせのどこに抜けを作ればいいのか、苦悩する日々が始まったのであった。ああ、金髪は楽でよかったなあと懐かしみつつ、今日もまた服の色合わせに腐心しているのであった。

2013-05-10 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり

 

02*ハイヒール入門 2 / 内澤旬子

いまの若い女の子は、歩き方がかっこ悪い。二十代の頃だからもう二十年も前のことだが、四十くらいの同業先輩女性に言われたことを 覚えている。膝が曲がったままガクガクして歩くからダメなのよ、と。たしか一緒にクラシックバレエの舞台を見に行った帰り、バレエダ ンサーの歩き方について話していて、そんな話になったのだった。

バレエダンサーたちは、足を完全にターンアウト、つまり外向きに百八十度開いて踊るように小さな頃から訓練する。踊っているときに は、それが美しい動きを約束する。舞台が終わってカーテンコールで出てくるときは、別に踊っているわけではないのだが、足が完全に開 いたまま、つま先より踵を押し出すような歩き方をして出てくる。もちろん舞台の上なのでそれが素敵なのだ。ただそのとき聞いた話で は、バレエダンサーはそういう歩き方が身についてしまって、普段外を歩いているときも足をターンアウトさせていているのだとかなんと か(本当かどうかは知らない)。それはちょっと異様かもしれない。でもそもそも歩き方が綺麗な人って少ないよね。なのにハイヒールを 履くなんて、十年早いのよ……と。

 
たしかに言われてみれば、膝が曲がったままで歩くと、腰の位置がひょこひょこと上下する。たいへん格好悪いです。モデルなど、歩きの プロの人たちを見ると、たしかにぴしっと膝裏が伸びている。

十五年ちかく忘れていた彼女の言葉が、ヒールで歩く練習をするようになってから亡霊のように頭の隅をちらつくようになった。膝ね、膝 を曲げないようにしないと。

しかし、なぜなんだろう。ヒールのある靴を履いて膝を曲げないように歩くには、歩幅が半分くらいになっちまうのだった。ものすごい回 転数で足を動かさないと、全然前に進まないではないか。ちょっと急ごうと気を抜くと、あっという間に膝が曲がり、腰が落ちてしま う。……なんで??

女性誌では、しょっちゅう綺麗な歩き方が図解入りで載っているわけで、もちろんこちらも立ち読みだけど、見つければとにかく読んで参 考に取り入れる。一直線歩きを試してみたりもした。

よく言われるのが、頭のてっぺんに糸がついてて、その先に風船が浮かんでるとイメージするというやつ。鏡の前でイメージして首からな にからすうっとまっすぐ立ててみる。おお、たしかに自分は相当縮んでいたんだなとわかる。しかし、しかしである。「すっとまっすぐ」 を長時間保持することは不可能なのだ。気がつけばしゅるんと縮んでいる。形状記憶猫背だ。

どうしたものか。そりゃもう頻繁にチェックするしかない。ということで、ヒールの靴だけでなく、町を歩くときは常にガラスがあれば歩 いている自分の姿勢をチェックする。亀のように首が前に出てないか。膝が曲がってないか。腰が落ちてないか。ナルシストと思われてる かもしれないけれど、しょうがない。

だいたいいつも首は亀、膝と腰は猿になってるので、ガラスのあるところだけ、ひょくっと全身を伸ばす。そして意識が残る間はまっすぐ 上に伸びて歩き、だんだんと亀と猿に戻っていく。またショーウィンドウがあるところに来て、伸ばす。この繰り返し。虚しくなるくら い、何年経っても変わらずにこの繰り返しなのである。はああああ。だめだこりゃ。

あれ、上に身体を伸ばして歩くのがラクにできてないか?
歩き方を意識してから十年くらい経った頃、突然気づいた。

その間にものすごく具合が悪くなって、伸ばすどころか普通に歩いてなにかすることすら難しくなっていた時期があった。このまま寝たき りになったらどうやって生活していけばいいのかという恐怖に襲われ、ヨガをはじめて三年くらい経っていただろうか。

正体は筋肉だった。ヨガを始めてまずゼロに近かった腹筋と背筋が、僅かながらであるけれど、ついてきてくれたのだった。中年すぎては じめたところで、筋肉なんかつかないと思っていたのに、いくつになってもやればそれなりにはつくものらしい。

こんなに違うのかというくらい、姿勢良くしていられるようになった。そう、むかーしから姿勢が悪い悪いとうんざりするくらい叱られ続 けてきた。思春期はやせぎすの体型がばれるのが嫌で嫌で、姿勢を悪く悪く、縮こまって生きていた。しかし思春期を過ぎてみれば、姿勢 良くしたほうが、服の着こなしもかっこよく見えるという自明の理に気づく。

で、気づいたところで、長年染み付いた身体のクセを抜くのは容易ではないのだった。姿勢良くしたくたって、長らく縮こまっていたせい で、背筋も腹筋もなんにもないんだから、どうにもならない。

ヨガのあのポーズが効いたとか、そういうことではないと思う。ただ週に二回も三回も、身体を(ヨガとして)正しい位置に頭、肩甲骨、 骨盤、足と並べて立ったり、胡坐になって上半身を立てて、しばらく深い呼吸をすることで、身体が姿勢良くすることにすこしずつ慣れて いったようなのである。

とはいえ、まだまだ美しい歩き方にははるか遠い。ヒールをはいて膝をガクガクさせずに歩くことができるようになったというだけ。歩い ているときにぐっと腹に力が入るのがわかるようになった。

でもなーんかギクシャクしてんだよなあ。
ウィンドウに映る姿にダメ出しをする。特にヒールが九センチになるとダメだ。

ヨガをはじめて五年目に、クラシックバレエも始めた。他誌の連載で書いているので理由と詳細は割愛。いろいろと一筋縄ではいかないハ プニングが続きながらも、筋肉の量は、腹筋背筋だけでなく、まんべんなく確実に増えたのだった。で、結果的に以前より綺麗に歩けるよ うになった。すごいな筋肉……。この頃になると、アキレス腱もギンと浮き出るようになった。うれしい限りである。

ヨガは立位のポーズもあるけれど、おなじくらい寝たり、座ったり、逆立ちしたり、四つんばいになったりするポーズがある。一つのレッ スンで上半身を立てている時間は、そう長くはない。しかしバレエでは、バーレッスンにセンターレッスン、そしてアンシェヌマン (ちょっとした踊り)、すべてガチッとスラリッと天に向かって身体を立て続けていなければならないのだった。

どこにどんな筋肉が必要なのか、私もまだよくわからないし、二年目にはいったところで踊りどころかポーズすらまるっきり出来てないの はわかっているので、えらそうなことは言えない。ともあれ、姿勢だけはさらに良くなったのである。ありがたや。
 

バレエとヨガ、たぶん立ち方も重心の置き方も違うし、どちらもまだちゃんとできているわけでもない。しかしともかく猿のように背中を 丸めているのがデフォルトの生活から、背骨をまっすぐ立てている状態を長時間維持していられるようにはなった。もうそれだけですごい じゃないか。そんなある日のこと。

ヨガの先生と雑談していて、どんなにポーズができるようになっても、ウリアナバンダつまりは丹田のバランスがとれずに揺れている人 は、見ていてすぐにわかるのだという話になった。へえ、そんなもんですか。

それはね、どんな動作でも同じなの。いま趣味で水泳を教わってるんだけど、水泳って手をこう動かすとか、足をこうするとか、いろいろ 考えて動かすじゃない? 違うんだって。身体の芯をまっすぐに前に進ませるつもりでいればいいんだって。それでね、そう意識してみた ら、ものすごく泳ぎやすくなったの。

それはヨガで既に身体の芯がぶれない身体になっている先生だからこそ、できるんじゃないかなあ。歩くときにも応用できるよと言われ て、腰の丹田をまっすぐ前に運ぶように意識して歩いてみた。

うわなんだこれ!! 驚くほど足がラクに前に出る。気にしなくても膝裏も伸びている。いままでの苦労はなんだったのかしらと言うくら い、すんなりと歩ける。頭に風船がついてるつもり、ではどうしても味わえなかった感覚。ウィンドウに写しても、自然に綺麗に見える ぞ!

ひゃー。ここまで来るのにほぼ十五年……。長かった。長すぎて呆然とする。せめてあと十年前に到達したかったけど。でもどんなに歳 をとっても綺麗に歩けたほうがいいに決まってるから、いいのだこれで。

気を抜くと身体の芯がぶれてしまうので、まだまだなんであるが、これなのかしらんという手ごたえがある。

去年は怪我が続いてほぼ一年間、ハイヒールをお休みしたのであるが、ローヒールでの歩行訓練は怠っていない。今年は怪我を治して、 中ヒールから復帰してぐっと芯を意識して綺麗に歩けるようになるつもりである。

2013-01-05 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり

 

01*ハイヒール入門 1 / 内澤旬子

はじめてこの服は私に似合ってると思えた時の快感を、いまも覚えている。

子どものとき、服は母と買いに行き、母がこれがいいというものを着せられていた。母が楽しそうに買ってくる時もあれば、作ってくれることもあった。ピアノの発表会、夏休みの旅行、卒業式、お楽しみ会、母の選ぶワンピースは、いつも落ち着いた色ながら、地味すぎず、派手すぎず、今思い返すと母は品の良い服を選びたかったのだろうが、客観的には無 難な服が多かった。ただ、母がとても楽しそうに私の服を選んでいたので、私もつられて楽しくなったものだ。これがどうしても着たいと泣きわめいたりとか、そういう経験は一度もない。

中学2年生の夏、学校行事の二泊三日のキャンプがあり、私服が必要になった。母と連れだって駅前のジーンズショップに出かけた。しかしさすがに私も13歳になって、子ども服を母に選んでもらう歳でもなく、かといってクラスの一部のきらきらした女の子たちのように、少女向け雑誌を片手にお洒落に夢中になっていたわけでもなく、さてどうしようとぼんやりとまどっていた。

気恥かしさが先に立つ性分は生来のもの。もじもじしていると、店員さんがポロシャツとジー ンズをいくつか見繕って持ってきてくれた。そのころ流行っていた紺と白の細い細いストライプの、あれはなんと呼ばれていたのだっけ、ゆったりめのパンツに、キャンパス地のベルトを通して試着してみた。

あれ?あれ? なんかかっこいい人みたいだ、私。足がすらっと長く見える。ふわっと、気持ちがあがった。

当時のキャンプの写真を今見ると、これがとんでもなくもっさい格好なのだった。ウェスト位 置も、ポロシャツの肩のくりも、今の流行からはかけ離れていることもあるけれど、それだけではなく、どう見たってどうということ もない服だ。それでもあの時の私にとっては、その着こなしは、大人っぽいというのは言い過ぎだが、子ども服から脱することができて、しかもなんか自分がかっこいい人みたいな気分を存分に味わえた、はじめてのものだった。

中学入学当時、129センチ、29キロしかなかった私の身長体重は、中学卒業時には159センチ、39キロにまで増大する。中学2年の夏は、たぶんその中間あたり。あの年頃にチビでガリガリであるということは、それだけで人より劣っているように思えたものだ。そのうえ運動神経もまったくなくて、かっこいいとは程遠い自分であることは、わかっていた。けれども、だからこそ、すこし身長が伸び始めた身体に着たその服が、すこしだけ自分を底上げして見せてくれてるみたいで、 ものすごく嬉しかったのだ。

嘘つきはおしゃれのはじまり、のはじまりである。

あれから31年という月日が経って、髪には白髪、顔には染みと皺、身体の肉は重力に抗う弾 力もなくしつつあるというのに、だからというか、あいかわらずというか、私は懲りずに自分にうそをついて装う。これと思う服を試 着して、鏡の前であがる気持ちを期待し、愉しむ。そういう気持ちをずっと維持してきたわけではない。服を着る、装いたいという気 持ちは、暮らしのなかで肥大したときもあれば、枯れしぼんだときもある。今だってちょうどバランスよくやれてますとは、お世辞に も言えない。時として自分でもあきれるくらい暴走してしまい、後悔することもしょっちゅうだ。

お洒落の達人というには程遠いものの、それでも日々の装いを巡る苦楽について、これから書き綴ってみようと思います。どうぞよ ろしくお願いします。

20代前半からおよそ20年、膝下を出したことがなかった。脚が太くて湾曲していたから だ。スカートならはマキシ丈、ほとんどパンツばかり穿いていた。以前単行本でも書いたように、O脚はながらく自分の中で最大のコ ンプレックスであり、なにをやっても治らんものと、二十歳になるころには諦めていた。れでもマキシ丈のスカートを履き、細めの タートルネックのセーターを着れば、下半身の都合の悪い部分がすべて隠れ、結構いい感じじゃなくって、あたし、という気分になれ たんで、それで満足していた。

で、15年くらい放置していたら、脚はどんどん太くなり、足首までも肥大してきたのであっ た。

脚が太いんだと誰かに漏らすと、そんなことないでしょうと、かならず笑われたものだ。そ りゃあ脚だけ切って他の人の脚と一緒にぞろっと並べてみれば、すさまじく太いというわけではない。しかし私の上半身はとんでもな く細かったのだった。細いというよりも、筋肉がまるでなくて、骨に皮が乗ってるだけという具合。ガリガリの上半身につけると、私 の脚は異様に太く見えたのだ。

服を着る上でなにが大事かといえばそれは比率。巨乳かどうかは胸囲とウェストの差がいかほ どあるかが物を言うと書いていたのは一条ゆかりだったと思うが、脚だってそうなのだ。針金みたいな腕にこの足首では、どうにもな らん極太となる。

それにしても高校生くらいまでは脚は曲がっていたものの、細かったのだ。上も下も均一に肉 と脂肪がついてくれるんならいいのに、なにがどう作用したのか、上半身は何を食べても太らず、ウェストから下ばかりがどんどん太 くなっていく。

30代後半になるころには、いくらマキシスカートを履いても、足首がどしっと太いのが耐え 難いほど気になりだした。隠してる部分が多ければ多いほど、見せるところに目がいくのは自然の理。ウィンドウに映る自分の姿を見 ても、足首ばかりが気になる。一度気になると止まらない性分。このままいくと、いずれ太めのパンツしか履けなくなるだろう。さす がに、それはさみしいではないか。なんとか足首くらい細くならないものか。いや、細く見えるなにかいいワザはないか。細くなく たって細く見えればこの際どうでもいい。

ヒールのある靴に挑戦してみようかな。ちょうどながらく患っていた腰痛の具合が比較的よくなっていたことも大きかった。踵を持ちあげると足首は細くみえるのだから、ずっとつま先立ち状態を維持するハイヒールを履いていれば、足首は細く見えるだけでなくて、ひょっとしたら多少は締まってくれるんじゃなかろうか。

一般の感覚とはずれるのかもしれないが、私は足首はバックだと思っている。大学生の時、座禅に通っていて、修行僧のアキレス腱がぎゅうっと浮き出た足首の形に惚れこんだのだ。座禅をしているときは半眼といって、瞼を半 開きにして斜め下あたりに視点を定める。すると警策棒を持って、眠りこんでいる参禅者の肩をたたくためにのしのし歩きまわる指導 僧の足首がみえるのだった。洗い込んで色あせた袴から見える脛と締まった足首にぎゅっと浮き出たアキレス腱が、この上なく美しく見えた。

座禅に行って煩悩を増やしてしまったわけだが、アキレス腱は男性の魅力として自分に作用し たというわけではない。ある種の理想的なフォルムとして、私の中にカウントされたのだ。以降、男女問わず、アキレス腱が綺麗に がっつり浮き出る脚を求めて、街中でも目を光らせるようになった。そして自分もそのようなアキレス腱がくっきり浮き出た足首が欲 しくてたまらなくなったのだ。

しかし鏡に映す私の足首はもたっとしていて、どこにアキレス腱があるのやら皆目わからない。そもそもふくらはぎも脛も気に入らないわけなんだが、そんなことを言い始めたら身体中どこもかしこも気に入らないのだ。とりあえず前向きに、どうしても気になる足首をなんとかしようではないか。

アキレス腱が浮き出る踵の高さとは、どれくらいだろう。

足首を鏡に映してつま先に重心を置き、踵を1センチずつ上げて行く。私が観察したことこ ろ、アキレス腱の出具合いは、男性は比較的誰でも出ているのに対して女性は相当な個体差があるため、以下の計測値もきっと個人によって違うかもしれない。踵の上がり具合が5センチから7センチくらいがちょうど良いようだ。面白いことに9センチ以上上がってしまうと、アキレス腱はまたすね肉に埋もれてしまうのだった。

よし。5センチから7センチのヒールを買おう。まずは靴屋に行って、片っ端から履いてみることにした。いろいろ履いてみては数 歩歩く、を繰り返した末に、7センチのミュールを選んだ。かかと部分だけが開いているつっかけサンダルみたいな形なのだが、つま先部分の形、ヒールの厚みと高さ、靴底の曲がり具合の バランスがとても綺麗でかつ履いてみても苦しくなかった。そしてグレーがかったピンクベージュの色が素敵だった。

とはいえほとんどはじめてのヒールなのだから、履きやすさのコツがわかっているとはいえない。しかしそれは数を履きこなさなければわからないものなのだろうから、今あれこれ吟味しても無駄。一応窮屈でなく脚を踏み出せて、綺麗な色形をしてるということで手を打とう。

それにしても美しいヒール靴というものは、見ているだけで幸せな気分をくれる。決められた 用途の中で、しかもきちんとその機能をふまえた上で、色、風合い(素材)、形のバランスを「絶妙」と呼べるまで追及したもの、もはやコンマ一ミリたりとも動かせない、「こうあるべき」姿をしたものが、私は大好きなのだった。鼻血が出るほど興奮するのだ。一 方で本来美しくあるはずなのに、あまりにもおざなりに作られたものを見ると、悲しくなる。ものづくりに予算の問題があるのはわかる。わかるけど、予算内ででも、もっといいバランスを出すことは、できなかったのかなあ、これじゃ靴の形してりゃいいってだけの、靴じゃないかと、思う。いやまあ、それでも履きやすければいいのだ。それはそれですごいこと。しかし履きやすさという機能も 見た目の美しさもなんにも求められない靴も、どういうわけか、これだけ市場経済が発展した世の中でも、結構あるものなのだった。 いやまあたぶん、そういう靴が欲しい人もいるってことなんだろう。

話がどんどん逸れるのだが、もう少し脱線。私とてロクに履きもしないのに、靴の形の良しあし(履きやすさではない)にはじめからここまでこだわっていたわけではない。

あれはまだ20代前半の頃。ヨーロッパに貧乏旅行に出かけていて、文字通り仰天したのだ。いわゆる日本の雑誌に載るようなお洒 落なブティックに行かずとも、ベルリンのユースホステルの近所の裏通りのどうということない靴屋にならんだ、普通の黒の婦人靴が、カッコよかったのだ。どこがどう、というのはわからない。だって普通の黒のヒール靴なんだもの。それに靴の形なんて今までそ こまで意識したこともなかったのだ。なのにどこかが違うと気付いてしまった。私がいままで見ていたヒール靴って、カッコ悪かったんだ……。

一足でも買って帰りたいところだったが、悲しいことに、履きつけない上に脚の形が合わない しお金もないし荷物になるしで、断念した。

それ以来、履きもしないのに、ヒール靴を見る目が厳しくなった。さすがに自分で履かないの でめったに靴売り場にはいかないものの、女性雑誌に載るヒール靴をまじまじと眺めては、踵の丸みとヒールのそり具合、つま先の形、甲の出ている面積などのバランスが絶妙な、美しいヒール靴を無意識に探すようになっていった。

この25年で、日本製の靴のデザインは格段に良くなった。見違えるほど良くなった。ヨーロッパの国でブランド展開している日本人デザイナーだって登場してきているし、オーダーメイドで履きやすくエレガントな靴を作る ショップもでてきた。なにより値ごろの普通の靴のデザインのレベルが上がったように思う。

おそらく、二十数年前に円高バブルの時代の恩恵を受けて、ヨーロッパに飛び出した沢山の若者たちのなかに、私と同じことを思った同輩が沢山いたのではないだろうか。

で、仰天しただけじゃなくて、かっこよくて綺麗に見える、それでいて使いやすい靴を作ろうと決心した人たちがいるような気がしてならない。

話を戻すと、ヒール靴を買ったその晩から、歩行訓練をはじめた。はじめは夜ゴミを出しに行くだけ。それからすこしずつ遠くへ、夜になるとひとりでてくてくと道路の白い線を踏みながら、まっすぐ歩くようにした。カッコ良く歩くなどというレベルの話ではない。とにかく脚を7センチヒールに慣らすだけ。つま先が痛くなる前に引き返す。

夜風に吹かれて、ひとりてぶらで、ふらふら歩く。いつも持ち歩いている重いバッグから解放 され、7センチ高くなった視界で、ふわふわと雲の上を歩くように進む。これまでの景色がまるで違って見えるのが新鮮で、楽しくて仕方がなかった。ハイヒールを履いて綺麗に歩くということが、自分にいかにとって難しいことなのかがわかるのは、もっとずうっと 後になってからのことである。

2013-01-01 | カテゴリー 嘘つきはおしゃれのはじまり