斎藤晴彦の役者修行

01*倫敦で舞台に立つ 1 / 斎藤晴彦

私は2008年9月にロンドンにあるフォーチュン・シアターで「ウーマン・イン・ブラック」という芝居に出ました。登場人物二人の芝居で、共演者は上川隆也さん。五回だけの上演でしたが実に楽しい経験でした。

「ウーマン・イン・ブラック」はもともとイギリスの芝居で、原作はスーザン・ヒルの小説。それをスティーブン・マラトレットが脚色し、ロビン・ハーフォードが演出しました。私たちが出演したフォーチュン・シアターで二十五年以上もロングランをしていて、多分、現在もやっていると思います。ウエスト・エンドの劇の中でも屈指の作品の一つです。とはいえ一口に「ウーマン・イン・ブラック」と言っても、なにそれ、と思われる方もいらっしゃるでしょう。フォーチュン・シアターに出ました、と言ってもSo What? と思われる方も多々いらっしゃると思います。で、話は長くなりますが、そこらあたりのことをとりとめなく書いてみます。

話はずっと過去の事になりますが、1991年の秋頃(正確な日時は全然思い出せません)にパルコ劇場のプロデューサーの山田さんから、今、イギリスでやっている「ウーマン・イン・ブラック」をパルコでやることになり、ついては出演する気ありやなしやの話がありました。山田さんとお会いした場所は今でも鮮明に記憶していて、吉祥寺にあるSOMETIMEというジャズ・ライヴハウス。立ち所にOKしました。「スタイルはホラー物なんですがね」と言う山田さんの言葉だけでOKするには充分でした。「登場人物は男二人です」。この言葉にも、なんか、シンプルなホラー物なんだと勝手に思い込み、やる気が湧いてきました。本も読んでないのに。内容もちゃんと聞いてないのに。これがもし男女二人の芝居でホラー物だったら愛と憎しみみたいな極めておぞましく面倒臭い話になり、おどろおどろしてわけわからなくなるにきまっているから、多分、考えさせてください、と即答は避けていたことでしょう。ま、もっともそんな男女の機微がからむホラー物の話など私のところに来るわけはないのだけれど。「ところで山田さん、OKしてからこんなこと尋ねるのは非常識だと思うのですが、相手役の俳優さんは誰がおやりになるのですか?」「萩原流行さんにお願いしました」。

ところが。いただいた「ウーマン・イン・ブラック」の戯曲を読んで吃驚。それは姉と妹の愛と憎しみ、そして妹の子供をめぐる残酷な悲しい話だったのです。そればかりではない。この骨肉の悲劇にはまったくの部外者である一人の男が理不尽にも巻きこまれてゆき、男は女によって恐怖の世界に招待されるのです。

そうなのです。この芝居は女の話なのです。萩原流行さんと二人で女の心を物語ってゆくことになったのでしたが、とんでもない話を引き受けてしまったと感じました。けれどもパルコ劇場で芝居が出来るのだというときめきがこの大いなる不安を消し去ってしまいました。

もういろんなことを次から次へと忘れてしまう情けない高齢者になってしまったから正確な日時はまたまた思い出せないけれど、或る日(この言葉は便利)、パルコの劇場関係者(この言葉も便利)から、「ウーマン・イン・ブラック」の稽古までずいぶん日数があるから、この際、ロンドンに行って、今やってるオリジナルの「ウーマン・イン・ブラック」を観て来たらどうかと言われ、流行さんと相談して行くことにしました。またまた日時は忘れましたが、多分、1992年の4月か5月の頃だったかなあ。そこではじめてフォーチュン・シアターで上演されている「ウーマン・イン・ブラック」を観ることとなったのです。そして、そこではじめて、これから長いお付き合いをすることになる演出家のロビン・ハーフォードさんと会うことになるのです。そしてもう一人、日本上演時のプロデューサーでパルコと二人三脚する作曲家の都倉俊一さんにも。都倉さんは当時ロンドン在住でした。

さて、はじめて見、はじめて入ったフォーチュン・シアターは、劇場自体がまるでこの「ウーマン・イン・ブラック」のために存在しているような、人々の想像力をホラー的に豊かにしてくれるつくりになっているのでした。怖いもの見たさは人間の普遍的感性ですが、フォーチュン・シアターの観客もまたご多分にもれず、観る前からもう怖がる用意をしています。「ウーマン・イン・ブラック」がこの劇場で大ロングランになる予兆がすでに感じられるのでした。

さて、物語は日本語の台本でわかってはいますが、目の前の劇は英語ですからどうにもこうにもですが、英語で長い科白を(多分)淀みなく喋っているのを聞いていると、なんとなくうまく聞こえてくるのです。本当にうまいのかも知れませんが。この舞台に限ったことではない、異国で芝居を観ているときのこの感じはなんなのでしょうか。舞台と観客とのことですが、言葉がほとんどわからないのにこんなこと言うのも変だとは思いますが、私が翻訳された台本を読んだ時の、全体に流れている悲しさ、或いは語られる女たちの孤独、恐怖に巻き込まれる男の痛々しさなどが舞台から観客に伝わっていないと感じたのです。時に起こる女の叫び声、無人のドアが閉まる音、ろうそくが消え暗闇になる時など効果音が発する極めてテクニカルな所では観客はキャーキャー怖がり、その後必ず笑うのですが。でも、これでいいじゃないの、受けてるんだから、と言い聞かせつつウトウトしてしまいました。時差ボケは心をひねくれさせるんでしょう。

舞台が終ってから出演者の一人とロビーの小さなバーで話しました。とっても屈託のない若い俳優だった。彼のやった役を流行さんがやるのだ。その後で舞台上を見せてもらいました。小さい、とっても地味、と言うか質素な装置、袖も狭い。私のように小さな劇団で、低予算で芝居を作っている者には何とも言えない親近感が湧いてくるのでした。劇場自体も古い建物で、ずっと後になって、つまり、2008年9月にここで「ウーマン・イン・ブラック」をやった時に劇場の人にもらったフォーチュン・シアターの描かれた新聞の切り抜きには、1811とありました。当時も今も同じ三階建で、構造自体はそれほど変っていない。こういう劇場、舞台を見てしまうと我が日本国の劇場のなんと寒々としたキンキラキンであることか。それから楽屋も見せてもらった。狭い急な階段を行くと木の扉があって、中は学生下宿屋の部屋のよう。二坪ほどの広さ。衣裳掛けやメーク机、椅子、古い小さなソファ。なんか、ディッケンズを読みたくなるような不思議さが漂っている。その時は、まさかこの劇場で芝居するなんて思うことすらなかったんです。

件の若い俳優に礼を言って、私たちは、ロビン・ハーフォードさん、都倉俊一さんたちと近くのレストランに行き、ドーバー海峡の鱈のムニエルを食べました。旨いとは言い難かったです。この時、ロビンさんは私たち日本人の役者を知る由もないし、私たちも同様。東京での稽古を楽しもうと、そして、素敵な上演をしようと約束しました。ただ、一つだけ聞きたかったことがありました。原作の小説をなぜ男二人の芝居に脚色したのか。ロビンさんは言いました。自分たちの劇団は貧しい。公演も低予算でしか実現出来ない。原作は面白いし、是非やりたい。しかし、小説の中のように物語にとって重要な人間を全部登場させることなど考えられない。そこで同志のスティーヴン・マラトレットに相談すると、彼は登場人物二人だけのアイディアを出してきた。一人の役は恐怖体験をする人間、もう一人はその間に巡り合う様々な人たちを一人で演じ分けていく人間。この二人で「ウーマン・イン・ブラック」の恐怖物語を観客に語りかけてゆくスタイルにすればいい。装置なども語り物だから最小限で済む。効果音を存分に使用する。金はかからないで出来る。こんな話をしながらロビンさんは楽しそうに微笑んでいた。聞いていて流行さんも私も嬉しくなってきた。俄然やる気が倍加してきた。ロンドンに来た甲斐があったというものだ。東京での稽古のことを考えると興奮してなかなか眠くならない。しかしこれは時差ボケで眠いけど眠れなかったのかも知れない。短い滞在だったからロンドン見物など出来るわけがなく、せいぜい大英博物館に行ったり、パレス・シアターで「レ・ミゼラブル」を観た程度で帰って来たのでした。

2015-07-14 | カテゴリー 斎藤晴彦の役者修行

 

02*倫敦で舞台に立つ 2

私たちの「ウーマン・イン・ブラック」の稽古は1992年の7月でした。ここで、ロビン・ハーフォードの凄さに日々接することになったのです。彼は、恐怖する感覚がイギリスと日本では違うのだと言う大前提で演出にあたったのです。日本人などアジアの人間は恐怖感情、つまりホラーというものを非常にシリアスな事柄として考えています。恐怖させる側に悲しみを見出すのです。だから恐怖しつつ悲しんでいるのです。妙なことを言うようですが、私は稽古をしながら、自分が日本人なのだと言うことを改めて思い知らされました。イギリス発のホラー物を稽古をしながら。そのことを気付かせてくれたのが、ロビン・ハーフォードさんなのです。彼は、俳優でもある演出家だから俳優の生理が理解できるのでしょうが、こうやれああやれと演じ方を押し付けることは一切なく、私たちの中に恐怖、悲しみ、孤独が醸成されてくるのを待っているのです。恐怖を説明したり、悲しみの表情をしたりするのではなく、本当に恐怖し悲しむのを待っているのです。それが私たちに出来たかと言えば、出来なかったと言うのが正直です。でも、演出の方向がそこに向いていることに私たちは感動しました。

彼は、日本人の俳優の悲しみ、恐怖などの演技にとても好奇心を持って稽古に臨んでいました。時には謙虚ですらありました。イギリス人の俳優にならサジェスチョンしたであろうと思われるようなところも自由にやらせてもらいました。兎に角、振り付けは一切しませんでした。すべては俳優が考えるのだと言っているのではないでしょうか。

もちろん、演じるのは俳優ですが、「ウーマン・イン・ブラック」は、戯曲と演出のセンスの良さに尽きると思いました。劇にはこういう楽しみ方もあるのだ、と胸を張って観客に語りかけている戯曲、そして、演出でした。ロンドンで大成功するわけです。日本の観客も楽しんだに違いないと思っております。いろいろありましたが、もう高齢者のため記憶力が弱まり、いい気になって書いているうちにだんだん作り話になりかねないのでそろそろ終ります。

この「ウーマン・イン・ブラック」は1992年から2008年まで数年に一度の割合で上演してきました。相手役は若者である必要から萩原流行さん、西島秀俊さん、上川隆也さんの3人が演じました。私の役は年をとっている役なので一人で間に合っただけのことです。正確な上演回数はパルコの演劇担当の方に聞かないとわからないのですが、500回ぐらいになっていると思いますね。演出家のロビンさんとは20年の付き合いでした。

ここで、冒頭に書いた2008年9月のロンドンはフォーチュン・シアターでの5回だけのウーマン・イン・ブラック体験の時のちょっとしたメモのようなものがありますので、読む気がおありの方はどうぞお読みください。尚、このメモは2009年にイワト7号(隔月刊)に書いたものです。

 9月4日(木)16時35分 ヒースロー空港着。機内眠れず。宿舎のウォルドーフ・ヒルトンへ。少し休んで近くにあるフォーチュンシアターへ。現在上演中の「ウーマン・イン・ブラック」を観る。こちらではこの作品、かなりの数の俳優たちが演じてきている。終って、ホテルのレストランで上川さんと食事。

9月5日(金) 案の定眠れず。時差ボケ開始。天気も曇り時々薄陽。肌寒い。14時から一幕の稽古。演出のロビン・ハーフォード氏と再会。舞台はパルコ劇場よりも小さく、客席は三階席まであり、舞台に向けて急角度で迫っている。舞台上の小道具等は日本での時とほぼ同じ状態に設定され、スタッフも当然同じメンバー。舞台はかなりの斜角状態。多少の修正をしただけで一幕の稽古終了。対訳の文字の明るさも気にならず。終って、上川さんと彼のマネージャーの松岡さんと近くのシーフードレストランへ。生牡蠣旨し。

9月6日(土) 時差ボケ最高潮。二幕の稽古、10時から12時半まで。上演中の「ウーマン・イン・ブラック」がマチネーのため。こんな体調不良の時って不思議と芝居はうまくいくもの。終って、演出助手の三砂氏と「Brief Encounter」(ノエル・カワード作)という芝居を観に行く。映画で有名な「逢い引き」である。劇場は映画館。スクリーンの映像と舞台の芝居を巧みに融合させ、出演者が生演奏と唄で悲恋物語を盛り上げる。ラフマニノフのピアノ協奏曲が強烈な印象を残した名品であった。夜食は「ウーマン」の関係者たち大勢でレバノン料理。これ、ちょっと苦手。

9月7日(日) 今日は休みの日。天気相変わらずすっきりせず。ホテルのレストランで朝食。フルーツ多い。コーヒー旨し。フライド・エッグとハム旨し。コヴェントガーデン界隈を歩く。広場で胡弓聞こえる。中国人と思われる男、プッチーニのアリアを弾いている。妙な感じ。

9月8日(月) 14時から舞台稽古。順調。はじめて楽屋に入る。小さな個室だけど、なんか雰囲気がある。なにしろこの劇場は19世紀のはじめに出来た劇場。なんかワクワクしてくる空間だ。舞台稽古が終って、件のシーフード店で演出のロビン氏、上川さんと食事。ロビン氏は上機嫌。その笑顔が救いだ。

9月9日(火) 初日。16時から一幕一場、二場などの抜き稽古をやり、たっぷり休息をして、20時の開演の時が来る。大いに楽しもうと思っていた気持ちがどこかに消えてしまい、ただならぬ緊張に攻めたてられてしまっている。観客の明るい笑い声、話し声が舞台袖にガンガン聞こえてくる。時々日本語も。そして、始まっちゃった。三階席が急角度で舞台に迫ってくる客席はかなり息苦しい。そして、スリリング。それと目のやり場にとまどう。二階席の前っ面あたりを見るのが一番安定感がある。兎に角、汗びっしょりで終る。あたたかい拍手が救いだった。終って、関係者、観客の方々と客席でパーティー。「ウーマン」の初演の時に私の役、オールド・キップスを演じた俳優に会う。むかしの芝居仲間の伊川東吾氏に会う。彼はロンドンで俳優を生業にしている。二次会は、日本人経営の店に行く。パルコのプロデューサーの祖父江さんも時差ボケとたたかいながらずっと一緒。午前3時頃まで騒ぐ。

9月10日(水) 昼頃まで横たわっていた。昨夜の酒盛りで徐々に時差ボケでなくなりつつある。その代り二日酔。ホテルのレストランでフレンチオニオンスープ、ラムのミディアム焼。パン少々、アップルタルト、アイスクリーム。二日酔ふっ飛ぶ。コヴェントガーデンの先の方のスーパーでサンドウィッチとフルーツの盛り合わせを買う。上演前に食べるのだ。「イヴニング・スタンダード」という新聞に昨夜の劇評が出た。三ツ星の評価。初日の劇評が次の日に出るなんて、なんか、我々はかっこいい所で芝居をやってるんだなあ、なんて思うと嬉しくなってきてしまった。おかげで今夜の芝居は時々科白をトチる。日本語だから多分わからなかっただろう。終って、ロビン氏がこっちでの「ウーマン」の出演者たちを我々に紹介するパーティーをやってくれた。彼らは日本人の俳優が自分たちと同じ芝居をやっていることに興味津々であった。いろいろ話が出来たけど、通訳なしで話が出来たらと思うと、ホント、日本語だけしか喋れないことの自己嫌悪が湧いてきてしまった。今夜は友人の椎名たか子さんが日本からわざわざ観に来てくれてびっくり。本当は知り合いのアーノルド・ウェスカー夫妻に会うのが主目的だったのだけれど、でも嬉しかった。

9月11日(木) 朝のうち降っていた雨も午後にはあがっている。でも相変わらず雲いっぱいの空。寒くなってきている。ホテルのロビーで端正な身なりの老人がピアノを弾いている。スタンダード・ジャズ。うまくない。気が付くと、ピアノの脇の小さなテーブルにティーポットが置かれていて、曲の合間にゆっくりと紅茶を飲んでいる。この時のピアノ弾きの老人は、まるで映画のワンショットだ。ホテル近くを散歩。今夜もいい観客。対訳があるからかも知れないが、観客の反応が実にきめ細かい。この芝居をすでに観ている観客が多いのかも知れない。今夜は上川さんのファンが大勢日本から観に来ていて、終ってから記念写真。私は関係がないのに一緒に写真におさまる。今夜は伊川氏、椎名さんも一緒に関係者たちと、現在ウェストエンドでやっている芝居の出演者やスタッフたちが集うサロンへ行く。「センチュリー」という名の所で、ゆったりした部屋の中では人々が飲んだりお喋りしたりしている。我々も5回だけの舞台だけどちゃんと登録されていたのだ。パルコのプロデューサーの大竹氏も一緒。こういうのは日本ではちょっとない。

9月12日(金) 20年前に「レ・ミゼラブル」で子役のコゼットをやった黒田はるかさんが観に来る。彼女はロンドンの演劇学校で学び女優をやっているとのこと。記憶にない。その時の舞台写真を見せてもらったけど、私の20年前の顔は記憶にあるけど彼女の20年前となると無理。楽屋で不思議な思い出話をして別れる。今夜はロンドンの稲門会、それに大竹氏の母校の立教会の方々30人程が観に来てくれて飲み会。音楽の音量凄まじくあまり話出来ず。

9月13日(土) 千秋楽。三階まで満席。昨日までは三階には空席があったけど、今夜は違った雰囲気が劇場に充満している。かなりスリリングな観客と舞台になった。カーテンコールは毎晩素晴らしかったけど、今夜は観客が立ち上がって拍手してくれた。月並みだけど、やれてよかったと本心思った。上川さんと舞台で握手した。彼も、やったねって顔をしていた。ま、たまには自画自賛もいいか。袖にひっこんで関係者たちと喜び合った。殊に感動したのはフォーチュンシアターの劇場付のスタッフの方々が喜んでいる顔を見た時だ。やる前は、日本人の「ウーマン」がどんな代物か興味津々だったと思う。でも、結局は、芝居が好きな者どうしだということに帰結するのだ。また多くの友達が出来た。楽屋口の責任者の若者に「来年も来い」と言われた時、うまいお世辞を言う若者だと感じ入ったね。彼は楽屋口の小さな部屋にいて、関係者が来る度にドアを開閉する係なのだ。彼には楽屋入りの時と出る時しか会わない。ま、こんな経験はもうないと思うし、良かった良かった、だ。打ち上げは大勢で大騒ぎ。大酒盛りとなった。この打ち上げだけは日本だろうとこの倫敦だろうとまったく同じだ。

2015-07-13 | カテゴリー 斎藤晴彦の役者修行