屋上日記
2017年 遅ればせながらご挨拶
新年のご挨拶をするような時期でもなくなってしまいました。
いつまで経ってもこんなふうに、遅くなりましたが……というご挨拶をしてばかりのわたしですが
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
早速ですが、1月16日搬入で新刊を出します。
タイトルは「沖縄、シマで音楽映画 『島々清しゃ』ができるまで」。
1月21日に公開になる、映画「島々清しゃ」。
映画の詳細は公式サイトでご確認いただきたいのですが、その映画の企画者であり、音楽監督であり、さらには脚本家でもある磯田健一郎さんによる、映画の「始めから終わりまで」を書いた、書き下ろし作品です。
詳細はこちらからご確認ください。明日には見本が!できあがります! ワーイ!
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さて、ここで振り返っておかないといつ振り返る、ということになりそうなので、ちょっとだけ2016年を。
編集室屋上として、再スタートを切った年でした。
4月には、ずっと念願だったながさわたかひろさんの『に・褒められたくて』を刊行。
過去の作品を集めた本ではありますが、文章はほとんど書き下ろし。
ながさわさんには過去のことを振り返るという大変な作業もしていただくことになり、精神的にかなり追い詰めたと思います……すみません。
でもながさわさんの作品の素晴らしさ、パワーと、それを最大限に引き出してくれたデザイナーの佐藤亜沙美さんのおかげで、渾身の一冊になりました。ほかの本もそうだけど、なんだか改めて「自分で本をつくって必死で売っていくのだ」ということ、再確認したような気がします。
さらに7月には、壺井栄没後50周年記念出版として『二人の手紙 壺井繁治・壺井栄 獄中往復書簡集 昭和五年-昭和九年』を刊行しました。平野公子さんが小豆島に行かれたことでつながったご縁で、意外と思われるかなとも思ったのですが、でも作っていてとても楽しい本でした。当時の二人は30代、今のわたしと同世代といっていい夫婦の手紙は時に厳しい言葉もありながら、あくまでも日常で(といっても夫は獄中なわけだけど)、かわいらしく、この二人のことをこんな風に感じることがあるとは思いもしませんでした。
公子さんから壺井繁治の話を聞いたときに、小熊秀雄の話が出てきて、大学生のときに「池袋モンパルナス」の展示を見に行って小熊秀雄の言葉にたいへん撃ち抜かれたこと、などを思い出しました。思い出しただけですが、そういう小さな衝撃や感動、その積み重ねがいまわたしにこの仕事をさせてくれているような気がします。
そして、「沖縄、シマで音楽映画」。
これから刊行なので、昨年つくったというわけではないのですが、12月には校了していたので、感覚的には昨年つくった一冊に。
この本のことは、また改めてゆっくりと。
というわけで、編集室屋上史上はじめて、年間三冊の本を制作しました。
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正直なことをいえば、今まで生きてきて一番シンドイ一年でした。
子どもの保育園は決まらず、日中は子どもと過ごし、夜や土日、たまに入れる一時保育を使って仕事をする日々。これは本当にダメでダメで、仕事を一緒にしてくれる人に迷惑をかける、こどもにつらくあたりがちになる、不満のないはずの夫にもあたる、体はボロボロ、という、ほんとうに、ひどい日々で。本をつくれたことはどれも誇りだけれど、同時にたくさんの人に迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳なく思います。
保育園が決まらない、というけれど、たとえば0歳児から入れるとか、入りやすい自治体に入りやすいタイミングで引っ越すとか、もっと努力できないのか、といわれれば、それまでで、ほかに優先したことがあるというのだからわたしが悪いのかもしれません。でも、「だから保育園に入れない」っていう世の中はやっぱりおかしいし、このおかしいと思う気持ちは喉元過ぎて忘れるのではなく、何か、小さいことでも考え続けることは必要だなと思っています。わがままなのかもしれないけど、子どもと生活するということ、そのなかで仕事をするということについても、もっと選択肢があっていい、あるべきなのだと思います。愚痴ではなく、これからも考え続けるという意思表示として。
こういう日々を通じて、自分に体力がないことも痛感したし、無理はここまで。12月には、胃腸炎もやり、1ヶ月以上風邪が治らなかったり、一年分のあれこれがずーんと体に襲ってきました。もうそのやり方、やめんさい、というお知らせかと思います。もちろん、本はつくりたいし、やりたいことはたくさん、新刊も出してこれから頑張りどきなので、いろいろ方法を考えながら現実を見つつ、がんばっていきたいと思います。
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最後に一つ、昨年いつだったか「月に吠える通信」さんのインタビューを受けました。
自分で話すことって全然面白いと思えないし、「うわーこんなこと言ってるダセー」「言葉がへたで伝わってねー」とかばっかり思って校正もらうと赤字ガンガン入れてしまうし、(そして何より自分の写真が出てると落ち込む 笑)あまりお知らせしていなかったのですが、ふと読み返してみたら、意外と、いままで人に言わなかったようなことを言っていると思いました。出版業界のこととか、本の役割のこととか、ひどい答えをしているんですけれど、でもこれがこのときのわたしの本音です。きっとそのうち変わるだろうけど。
【ひとり出版社Vol.4】よりふさわしいカタチで、表現が届けられる時代になる 『編集室屋上』林さやかさん
(タイトルかっこいいな)
ではみなさま、こんなわたしと編集室屋上ですが、2017年もどうぞよろしくお願いいたします。エイエイオー
林さやか
『に・褒められたくて』のこと(いまさら制作日誌)①
ながさわたかひろさんの『に・褒められたくて』を刊行してから半年以上が経ちました。
わたしにとってすごくターニングポイントというか、……あれ、それどういう意味だっけ? 出版を続けるうえでとても重要な一冊です。
最近、いくつかトークイベントをしたり、そのことで久しぶりの友人に会ったりして「どうしてこの本を出そうと思ったの?」と聞かれることが何度かありました。
思えば、そういうことは書いていなかった。って、編集者がそんなこと伝えるのは当たり前のことではないですが、一人でやっている以上、そういうところにもっと意味を感じてもらってもいいのかなと思うこともあり、今更すぎるタイミングではありますが、ながさわさんとの出会いや、作品のこと、そこから本作りのことまで、何度かに分けて書いてみようと思います。
***
ながさわさんと最初に出会ったのは、わたしが野球雑誌の編集をしているときでした。
上司が会議室でお客さんと会っていて、「みんなちょっと来て」と呼ばれたので行くと、そこには野球雑誌編集部にはなかなか現れない、文化系の人がいて、とても大きな作品を上司に見せているところでした。(イラストレーターさんやデザイナーさん、とも雰囲気が違ったので、かなり異色に見えたのを覚えています)
そのとき見せてくれていたのが、初代(?)「プロ野球画報」という作品。
2009年の、東北楽天ゴールデンイーグルスの全試合を、各試合9コマ、それも銅版画で描いた、話を聞くだけで気の遠くなるような作品でした。
それを見て無性にワクワクして、なんかすごい人が来たぞ、と思い、いろいろ質問攻めにしたような気はします。
いま、思い出しながら書いていてハッキリしないのですが(だって、6~7年前……)、その前だったか後だったかに、その作品を展示した個展があり、その知らせも受けていながら、「校了直前だから」という理由で行けなかったことは、未だに後悔しています。その頃は、雑誌の進行がすべてのような生活をしていて、校了直前に行きたいところに行くようなことは、まずなかったのでした。
それから、野球雑誌の編集者としては、ながさわさんに二度、仕事をお願いしました。
一度目は、えのきどいちろうさんに原稿をお願いしたときの挿絵(ナンシー関さんの、後ろ姿を描いてもらった)。
二度目は、2005年の東北楽天ゴールデンイーグルスのメンバーを描いてもらった見開きの企画。
そしてわたしは2011年に退職をし、編集室屋上を立ち上げるのですが、その退職の挨拶のときのメールに「ながさわさんとは野球関係なく、本をつくりたい」というメールを送っていました。
それから、毎年開催されるながさわさんの個展には毎回足を運んで、同じ頃に始めた「東京野球ブックフェア」でもトークに出ていただいたり、と、ほそぼそとお付き合いは続きました。といっても、わたしが一方的な「ファン」であっただけですけれど。
そうして、2014年1月のながさわたかひろ展「に・褒められたくて」に出会うのです。
『美術手帖』での連載や、ながさわさんのブログで「に・褒められたくて」という連作は見ていたし、そのコンセプトを含めて素晴らしい作品だと思ってはいたものの、実際の作品を目にするのはこのときが初めてだったと思います。少なくとも、一堂に会したものは当然初めてでした。
そのときの感情、ハッキリ覚えています。
これほどのものを放っておいていいのか?
これが芸術家の仕事というものなら、わたしは編集者なのだから、これを作品集として世に出すのがわたしの仕事ではないか?
この作品を本にしないなら、わたしが編集者を名乗る意味もないのではないか?
いま文字にするとかなり恥ずかしい、おこがましい言葉ですが、それでもそのときに湧き上がった気持ちが、ながさわさんの「に・褒められたくて」という作品を本にするところまで持ってきました。
言うまでもなく、それだけの力のある作品、展示でした。
つづきます。
壺井栄50回忌によせて
日付変わって今日、6月23日は、壺井栄の50回忌です。
『二十四の瞳』などで知られる壺井栄は小豆島の出身。島では今年一年、記念行事がいろいろと企画されていて、このたび刊行する『二人の手紙 壺井繁治・壺井栄 獄中往復書簡集 昭和五年-九年』もこのタイミングで島のみなさまにも見ていただくことができました。
小豆島町長がブログの1704回で書いておられるとおり、この本はもともと平野公子さんがわたしに話をくださったものです。
公子さんは編集室屋上の立ち上げを一緒にしてくれた人。(というか屋上のメンバーですから、屋上はひとり出版社ではないですね)
はじめは、やはり『二十四の瞳』の印象が強い壺井栄のことを詳しく知らなかったし、夫である壺井繁治のことは、名前と、活動家であったことくらいしか知らない、不勉強な私でした。
でも公子さんからの話を受けて、この書簡集を本にして出版することに強い意味を感じたのと、なんだか言いようのないワクワク感があったので、詳しくないままに、出版したい、とお伝えしたのでした。
(いま思うと、公子さんからの電話で小熊秀雄の名前が出たことが、決意したきっかけの一つだったような。ちょっとしたことですが)
そして島から送られてきた大量の書簡のコピーには、めんくらいました。
これを、全部、タイピングするのは……むり!!
特に初期の手紙は繁治が獄中でペンの使用を許可されておらず、筆で書かれたもの。はじめに見たのがその手紙だったので、「読めない、読めない、読めない!」と泣きそうになったくらい。
ペンになると、だいぶ読みやすかったんですが(笑)それでも慣れるまでは難儀しました。
そして、やはり自分一人では無理と、数名の方に協力していただいてまずは原稿を起こすことからはじまった本作り。協力者の方も、ほんとうに大変だったと思います。
装丁は長田年伸さん、装画は平岡瞳さんにお願いしました。
長田さんの遊び心もありながら地に足の着いたデザインは400ページ超えの本をしっかりときれいに、また軽やかにまとめてくださいました。
平岡さんにはぜひ木版画で!とお願いして、それがピッタリ。優しくもあり力強くもある平岡さんの木版画が、小豆島の風景を思い起こさせるところもあり、二人の手紙の雰囲気を見せてもくれて。
お二人は30代で、わたしも30代、なんとなく、若い世代で作りたいという気持ちありました。
解説は佐久間文子さんに。じつは記者でいらっしゃる頃からずーっと読者だった佐久間さんに自分が出す本で原稿をお願いできたことは光栄でした、というのは、ほんとに私事ですが、いただいた解説を読んで、私自身この本の姿がすーっと入ってきたような気がします。もしかしたら、最初に読んでいただくとより「二人の手紙」を楽しんでいただけるかもしれません。最後に楽しみにとっておいてもよいのですが。
さて、こんな風にしてようやく出来上がった本です。
書店さんには早い所では6月25日頃から並びますが、取次の関係でだいぶ時間がかかるところもあるのと、まだまだ販売店が少ない状況です。
引き続き、お取扱いいただける書店さん等も募集しています。
そうそう、公子さんたちがスタートした小豆島初のオンラインマガジンも間もなくスタートの様子。
現在クラウドファンディングを行っています。
小豆島発のオンラインマガジン「その船にのって」にご支援をお願いします!
こちらで壺井栄の短編も読めるようになるとのこと、これも楽しみ。
***
今年に入ってからずっと突っ走り続けてきた日々、ようやく一段落です。
保育園は、まだ決まりませーん!
編集室屋上 新刊のお知らせです
やっと、やっとお知らせできる日がきました。
編集室屋上から、1年半ぶりの新刊は
ながさわたかひろさんのライフワーク〈に・褒められたくて〉の単行本です。
ながさわさんのこと、ご存知ない方もいるかもしれません。
「野球の人!」って思う方も多いと思います。(ヤクルトスワローズの全試合を描く絵描き、でもあります)
でも、でも、ながさわさんの本領は、「野球」だけじゃないんです!
知らない方も、無名の人だと思ったら、度肝を抜かれます!
今回の作品〈に・褒められたくて〉は、ながさわさんが自分の好きな人にアポなしで「あなたの絵を描かせてください」と突撃、OKをもらえたら絵(版画)を描いて、また本人に渡しに行き、そこで本人にコメントとサインをもらう、ということで完結する作品です。
ながさわさん本人による「まえがき」から抜粋します。
〈に・褒められたくて〉は、しみったれオトコが、それでも前を向いて、大好きなアノ人と正面切って向き合うために果敢に挑戦していく、その様を追ったドキュメントだ。「アナタを描かせて下さい!」その一言から始まる愛の版画シリーズである。できあがったら二枚刷り、一枚をご本人に渡し、そしてもう一枚にコメントを頂戴することで完成する”コラボ”作品。制作に至る過程と、サインをもらえたりもらえなかったりの悲喜交々をまるごと作品として見ていただこうと思った。ちょうどブログが流行し始めたころで、その工程を公開するのにも都合が良かった。そのどれもが大事な作品だけど、この本に収録したのは泣く泣く厳選した30人だ。
30人とは、掲載順に
吉田照美/野村克也/会田誠/あがた森魚/大林宣彦/鈴木慶一/タケカワユキヒデ/ピエール瀧/高田文夫/おすぎ/市川準/篠原勝之/唐十郎/ヤン・シュヴァンクマイエル/四谷シモン/大竹まこと/直枝政広/みうらじゅん/ケラリーノ・サンドロヴィッチ/山里亮太/春風亭昇太/柳家喬太郎/樋口真嗣/蛭子能収/ムッシュかまやつ/大根仁/三遊亭白鳥/渡辺祐/武田鉄矢/平野甲賀
……のみなさん。
ながさわさんが影響を受けたり、好きでたまらなかったりする人たちです。
この人たちの並びを見れば、ながさわさんがどういう人が、なんとなくわかるんじゃないかなと思います。
作品集といっても、作品が並ぶだけではありません。
208ページ、ほとんど文字ばっかりです!
上記「まえがき」にもある、「制作に至る過程と、サインをもらえたりもらえなかったりの悲喜交々」を、ほとんど書きおろしてもらいました。
ブックデザインは佐藤亜沙美さん、
「解説」をえのきどいちろうさんに書いていただきました。
佐藤さんの発想は本当に素晴らしく、作品の意図も深く理解してくださり、最大限魅力を発揮できる、ダイナミックな本に仕上げてくださいました。
えのきどさんがながさわさんのことを話すのを聞いて、ながさわさんの作品をより深く理解できたとわたし自身思っていて、みなさんにもその体験をしてほしいと思いお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。衝撃の一文で始まっています!
さて、これからようやく本腰を入れて営業活動!
子どもを背負って書店さんに行かなくては。
本のことは、また少しずつ書いていこうと思います。
最後に詳細を。
に・褒められたくて
版画家・ながさわたかひろの挑戦
ながさわたかひろ・著
A5版/208ページ/1,800円+税/コデックス装
4月17日頃発売
ISBN 978-4-9906105-4-8
ブックデザイン:佐藤亜沙美(サトウサンカイ)
野球かわいい展のこと。とりあえずの覚え書き
「野球かわいい展」が終わった。
そのあと、書籍の校了があり(まだ終わってない)、東京野球ブックフェアがあり(次の日曜です)、と、怒涛の日々が続いているので、なんだか振り返れないのだけど、すごく重要な二日間だったような気がして、その熱気が抜けないうちに少しまとめておこうと思います。
一番最初のきっかけはなんだったろうか。
さかのぼってみたら、
「野球のかわいいものを集めた展示をしませんか」というメールを、今回の参加者のみなさんそれぞれに送っていたのが一年前の3月。
ふむ、最初からコンセプトはあまり変わっていないのだ。
声をかけた代打◯◯◯のメンバー、清水はるかさん、雨本洋輔さん、というのは
最初に思いついた「野球のかわいいものをつくれそうな人」だった。
「かわいい」があまりにも主観的過ぎるから、「かわいい」でいいのか?とも思ったけれど、
まずは編集室屋上企画としてやってみるのだから、主観的な企画展でもまあいいんじゃないか、と、そのまま進んだ。
もしかしたら、わたしが主観的に「かわいい」と思わないものでも、一般的に「かわいいっぽい」ものを入れて
参加人数、出品数を増やしたらいいのでは?と思ったこともあったけど、
やっぱり自分がかわいいと思うものしか、全力でいっしょに作ることはできないかなと思ったのだった。
最初は「野球×かわいい」というニュアンスで「やきゅうかわいい」と呼んでいたのだけど、
それを「野球かわいい」という形容詞だ、といったのは友人の編集者のAくんだったかな。
企画展をやる、ということは、雑誌や書籍をつくる以上に、目に見えないことが多くて
わたしの進行は決して上手じゃなかったと思う。
それでも、メンバーはわたしが何かいえばどんどんアイデアを返してくれたり、
「とりあえずつくってみよう!」と、いくつもサンプルをつくってくれたり、
ときには「コンセプトを一度ハッキリさせよう」とわたしを軌道修正させてくれたり、
すごく頼もしく、こういう人たちと展示をつくるのはほんとうに楽しかったな。
みんな、忙しいなか、本当によく準備してくれました。
それぞれのつくるものは「ちゃんとかわいく」て、クオリティも高い、
「野球好きじゃない人にもかわいいと思えるアイテム」だけど「野球好きにだけわかるニュアンス」もある。
そういうものがたくさんできたけど、
でもやっぱり、
「どれだけの人が来てくれるのか」というのは未知数で、ずっと不安だったと思う。
ふたを開けてみれば、大盛況!
小さな小さなスペースにひっきりなしにお客さんが来てくれて、たくさんの商品を買ってくれた。
9割が女性!
野球のイベントで、って、野球のイベントなわけじゃないけど、野球と名のつくイベントでこんなことって、そうそうないですね。
何度も「野球のかわいいグッズってないから、うれしい」というコメントをもらった。
ああ、「野球かわいい」って言葉はなかったけど、ずっと求められてたんだな、としんみりとしながら驚いた。
ブログの構成もなにもないけど、今回の作家さんの紹介を。
雨本洋輔さんは、『屋上野球』を読んで連絡をくれたのが最初の出会い。
(そして『屋上野球』Vol.2ではコラムのカットを描いてもらい、雑誌のコラムの強度がぐっと上がってうれしかった)
今回唯一の男性だけど、誰よりも「野球かわいい」かもしれない。
そしてコンセプトにとても敏感ですごく大事にしているので、
展示を準備していくうえでわたしを引っ張ってくれることも多々ありました。
作品は「ちくちく手作り」系ではないけれど、ただイラストがかわいい、というだけじゃなく
どういう見せ方をしたらよりかわいいか、どういう展開がよりかわいいか、ということに自覚的だったのが
「ただかわいい絵を描くイラストレーターさん」というのとは全く違ってすごいなと思います。
阿良田蓉さんは、アイデアマン。そして行動力の人。
DMやロゴのデザインも、ついつい頼ってお願いしてしまったけれど、おかげですごくかわいいものができた。
「ミニスコアブックノート」や「12球場のカレンダー」などは、
野球好きなら「たまらない!」と思ってしまう目の付け所で、
なおかつ単体のグッズとしても、細部にまでこだわっていて、きっと野球関係なくかわいいと思ってもらえるもの。
上記の二つは、今回の「野球かわいい展」がSNSで拡散されるときに
もっとも言及された二つかもしれません。
清水はるかさんは、慣れないと言っていた「手芸」的なところに、
まじめに真摯に取り組んでくれた。
清水さんは『屋上野球』でもイラストを描いてもらっていて(佐々木あららさんの短歌の挿絵)
そのイラストがすでにかわいいので、イラストを使って何かつくるという方法もあったと思うけど
最初にわたしが「手芸もので…」といったのを最後まで徹底してくれたのは、らしいなあと思う。
素朴でかわいいけど、ボールカウントをかたどったものは、一種類ではなくいろんなカウントがあったり
これもやっぱり野球好きにはたまらない細部のこだわりで、
いつまでも「どのカウントにしようか」と悩んでいるお客さんが多かったな。
堀岡暦さんは、センス抜群のひとで、
わたしは密かに絵描きとしても惚れ込んでいる。
今回、作品の種類は多くなかったけれど、コンセプトがしっかりしていクオリティも高く
堀岡さんの個性がすごくよく現れた作品だった。
「TAKE ONE BASE」をもじった「TAKU ONE BASE(たくわんベース)」シリーズは傑作!
ストーリーづくりもよくて、なんとなく文学っぽいのが堀岡さんの作品だなと思う。
じつは今回のメンバーで唯一の学生さんで、卒業制作とも時期がかぶりながら
準備が大変だったと思うけれど、いつも落ちついた対応をしてくれて
わたしなんかもうヒーヒー言っていて情けないのだった。
ドタバタと書いてしまったけれど、この4人のバランス感覚があって成り立った「野球かわいい展」だったと思います。
今後、もしかしたらメンバーが増えたりすることもあるかもしれないけれど、編集室屋上企画としての「野球かわいい展」の礎はこのメンバーによってしっかり築けたなあというところ。
今後……?
ほんとうに想像以上の反響とご来場、ご購入をいただいたので「次回……まあできたら……」みたいな感じだったのが「次回!やりましょうね!」という雰囲気にはなっています。でもね、みんな仕事や学業のかたわら手作りしているから、そうそうはできないのですけれど。
楽しみにしてくださる方、どうか気長にお待ちくださいませ。
ちなみに、メンバーはそれぞれ「東京野球ブックフェア」にも出店しますので、ご興味のある方はどうぞそちらも!
最後になりましたが、ご来場いただいたみなさま、来られなかったけれど気にかけてくださったみなさま、どうもありがとうございました。
ほんとうにほんとうに、みんなで驚き、喜んでいます。
祖父江慎+コズフィッシュ展 で 自分の仕事を思い直す
ギリギリのすべりこみで! 日比谷図書文化館で開催中の「祖父江慎とコズフィッシュ展 ブックデザイ」に行ってきました!
三角ーーー!
いや、しかし、野音には何っっ回も行ったし、野音の裏口使ったことも何回もあるというのに、ここにこんな建物あるってまったく見えていませんでしたね。
子連れでしか動けない日々、展示の類は1歳児には退屈で、ギャースギャースとなってしまうのでこちらも出かけるのに勇気がいります。でも、もしかしたらうまいこと寝てくれたりするかも……行かなきゃ見られないわけだし、ダメ元で行ってみるか!ということで。向かう道中でウトウトする娘を必死で起こし、限界ギリギリまで眠くさせて挑みました! 大成功!(つくづく勝手な親です、たまにはね)
初日には間に合わなかったらしい冊子もギリギリに行ったことで無事もらえました。
展示は、説明を極力排除したつくりで、事前情報としては「これまでに装丁を手がけた2,000冊を展示!」というのが売りのように見えたけど、実際に見てみると、校正紙だったり仕様の指定書だったり、制作の裏側がメインなんじゃないかと思いました。
細かい内容については、ちょっと、まとめている時間がないので全体の感想を!
「どこまでやるか」っていう問題は、いつも自分のまわりにふわふわと浮いている気がします。
時間がないとか、予算がないとか、「そこまで、やる?」みたいな気持ちもあるかもしれない。
でも、祖父江さん(とコズフィッシュのみなさん)の仕事は、
そのリミッターみたいなものがない、というか、あるんだろうけど、一般のそれと違っていて、
細部へのこだわりのすごさが、確実に本のちからになっているんだと思います。
本のためにまだまだできることがある、
まだまだ、こだわれる。
展示を見ていた、おそらく出版関係者ではない方が「本をつくる仕事って、楽しそうだねえ」と言っているのが聞こえました。
そうなんだよー、楽しいんだよ!
そして今回の展示を見て、もっともっともっと楽しくなるんだよ!というのを、まざまざ見せつけられた感じです。
細かい感想もすこし。
わたしが最も見てよかった……と思ったのは『ユージニア』の本文レイアウトのフォーマット。かな文字ひとつも、既存書体の中で気になったら変更したり、大きさを変えたり、読点ひとつの調整もすごい。もちろん、読んだ人が「デザインで何をしているか」わかる必要はなくて、でもその意味すること、印象は、伝わるのだと思う。そして、手描きのコメント一つひとつから見える「楽しそう!」な感じ。楽しいなんて言ってられないくらい忙しいはずだけど、「楽しくてたまらない!」とでも言うようなコメントがたくさんあり、自分の本作りに向き合う姿勢そのものを鑑みてハッとしました。うっかり「大変!」「お仕事!」みたいに思ってしまうことがあるけど、それってもったいないこと。
またもとっちらかってしまいましたが、
自分が本を作る仕事をしているということがとてもうれしく思えるような展示でした。
前後編にわかれていて、前編は14日まで!!
締めるべきことも、特になく
前回更新したときに、年内もう一度は更新を!と書いてしまったけれど、
振り返りとかがあまり得意ではないこともあって、書くことはなかった。
じゃなくて、今年は、振り返れるようなことがなかったんだなー……。
自分なりに駆け抜けてはきたけれど、形に残せなかったのかな。
現在、来年春(3月か、4月)刊行予定の本を一冊編集中。
なかなか難儀していて、当初1月とお伝えしていたものが延びていますが
これは、編集室屋上として重要な出版になると思っています。
そして6月刊行になるかもしれないものが急に進み始め、
長く少しずつ準備しているものがもうひとつ。
去年の年末に「来年は屋上野球を出したい」と言っていたけれどそれもかなわず
来年こそは、なんとかしたいけれど、どうなるかなあ……
いろいろ書いて、「出す出す詐欺」にならないようにしないと!ハイ!
まずはそんな諸々をいったんご報告できるような冊子だけは
早めにつくりたいところ。
そうそう、ひとつ、那須早苗さんによる「屋上あみもの教室」を一年続けられたことはうれしいことでした。来年は1月19日からスタート。何かをつくっている時間は満たされます。
年末年始は都築響一さんの『圏外編集者』を読んで自分に叱咤激励します。
みなさま、よいお年をお迎えください!
2015年のおわりに、最近とこれから
わたしはSNSの中ではTwitterを一番頻繁に使っていると思う。
Twitterは告知と情報収集のためさ!といきがることもあるけど、やはり反応があると楽しいものです。
そして反応が一番多いのって、どうも子育て関連のことらしい。
ついつい愚痴ってしまうことや、反応があったらいいなと期待しながら書くちょっとした迷いや悩み(たいしたことじゃない)、そういうものに世の先輩お父さんお母さんが「うちはこうしてるよ」「これが便利だよ」というコメントをくれたりして、一体なんだろうか、この楽しさは。もしかしたら児童館や支援センターのような施設によく行く人とか、いわゆる「ママ友」がいる人は、こういう楽しさと実益が合わさった話をいつもしているんだろうか。
一方で怖いような気がするのは、子どもがいる人の間に生まれてしまう不思議な結束力。
これは、ありがたい一方で、子どもがいない人を寄せ付けないように見せる強さがあって、決してそんなつもりがなくても、確実にそう見せるもので、なぜこんなことを思うかというと子どもがいないときにはそう思って見ていたからなんだろうと思う。
だからどうってことじゃない、
それでも子育て経験者からのコメントはうれしいし、やりとりは楽しいし、
でも、自分が感じていたその気持ちを覚えておきたいなと思うのです。
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来年からは、娘(現在1歳2ヵ月)を保育園に入れることを考えていたけれど、
ふいに引っ越しの可能性が浮上してきて、
自治体をかわるということは保育園の申し込みができないということになる。
また、どうなるかわからなくなってきた。
なんとか、週2回はどこかに預ける、というのを死守していきたい。
いや、死守ってほどの話じゃないんだけど。
無理なら、無理で、ほかの方法を考えるしかないんだけど。
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わたしが主催しているイベント「東京野球ブックフェア」が
2016年3月13日(日)に決まりました。会場は世田谷ものづくり学校です。
こちらもみなさまチェックしていただけますと幸いです。
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なぎ食堂/compare notesの小田さんが事務所でリソグラフ印刷を始められた。
この間、その機械を見せてもらって、印刷のことをいろいろ聞いて。
小田さんのつくったZINE「わたしとリソグラフ」はサイコーにおもしろかった。
これを自前のリソグラフで刷っているということの意味を、もっと考えたい。
それはけっきょく、自分がなぜこんな小規模で、世に出したい本を必死でつくっているのか、ということにつながってくる。
なぜ、「出したい企画を出版社に持ち込む」のではない方法を選んできたのか。
そういうことの一つの答えでもあると思う。
一緒にうつっているのはサボテン書房さんの「しゃぼてん通信」。
小田さんの「わたしとリソグラフ」は野中モモさんのlilmagで買えます!
先日、デザイナーの横須賀さんにお会いして背中を押してもらったこともあり、
屋上としても、来年から小冊子を出していきます。
とにかく、スタートを切らなければ。スタートは、いくつも同時に、いろんなところで切らなければ。
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まだ今年を終わらせたくないので、年内にもう一度は書きます!
おしらせ。
『BOOK5』19号の「年末恒例アンケート 今年の収穫」に答えさせてもらっています。
年末年始に読みたい本が増えるばかりだけど、面白いので、ぜひ。
ネタバレですがわたしは松田道雄さんの本と出会ったことを書きました(また子育てネタ!もうしゃーない!)。
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屋上instagramやってます。
本屋のニカさん
気づいたらもう1ヵ月も経っていた。
こういうことは瞬発力でドーンと書き残さないといけないな。
さかのぼれば、一番最初に「北書店で二階堂さんのライブやることになったから。林さん来るでしょ?」という電話がかかってきたのは去年の春だった。わたしは初めての妊娠で、安静指示が解けたばかりだったし、新潟に行くのはちょっと迷いがあったけれど、ええい、と新幹線に乗った。
そのときのニカさんのライブはすばらしいものだった。歌を聞きながらおなかでぐりぐりと動いていた子は1歳目前になった。
今日は、今年のライブのことを書かなきゃいけないからその話は置いておくのだけど、でも去年のあの日があったから、今年「また二階堂さんのライブやることになった」と連絡をもらったとき、乳飲み子連れて、どうやって行くべきかと一瞬悩んだものの、行かないという選択肢は、すでにないのだった。
今年は夫に運転を頼んで車で。4時間半くらいだったか、案外あっというま(運転もしてないのによくいう)。
早めに着いて、ニカさん一行や北書店の佐藤さんたちと再会。お店の前でうろうろしていると、設営中の店内を覗いたひとが何度も「今日は何があるんですか?」「おやすみですか?」と聞いてきた。彼らにとっては、散歩中や学校帰りに本屋さんによる普通の日。オープン前にお店の前にずらりと並んだお客さんにとっては、広島から来た歌手を迎える特別な日。
去年は、「女はつらいよ」から始まったんだったな。ニカさんが急にフルートを吹いて出てきたからちょっとおかしかった。そんなことを思い出しつつ待っていると、今年の1曲めは「萌芽恋唄」。お店に集まった80人近くのひとが、歌が始まるとぐぐぐと引き寄せられるのがわかる。
どこか、友達の家でしゃべっているようなゆったりとリラックスしたニカさん、と、(おそらく)たくさん来ていた初めて見るお客さんをぐいぐいと自分の世界に連れて行くニカさんがいっぺんに見られる。話しながらふらっと歌い始めたり、踊りだしたりもする。広島の話をしたり、新潟のことをお客さんに聞いたり。
その雰囲気のおかげもあってか、カバーもたくさん飛び出した。ニカさんなりの新潟をイメージした曲はなんと「ロマンスの神様」(スキー場のイメージらしい)。「ジャズっぽいアレンジ」を目指したというけどほとんど演歌だったよ。長渕剛の「good-bye青春」は気に入ったフレーズを「ココかっこいいからもっかい歌おう」と2回歌う。おちゃらけてるようだけど、でもその歌声がまた曲に合っていて、カッコ良かった(加藤登紀子みたいだった!)。
そんな、ポンポンと繰り出される歌の一つひとつから、きっとみんなにとってすごく身近なひとに感じられたことだろうと思う。
そして身近に感じたひとが、ふっと表情をかえて「一本の鉛筆」や「にじみ」といった、さらりと聞き流せない歌を歌うのを見て、また不思議な気持ちになったのだと思う。
ニカさんの曲のなかではすこし古い曲である「脈拍」は、北書店店主・佐藤さんからのリクエスト曲だった。最近のニカさんのライブではあまり見られない、外に魅せるのではなく内側に入り込むような歌い方で、ともすればそれは「マニア」や「大ファン」ではないお客さんを置いていきがちになるものだと思うけれど、この日、その曲があまりにしっくり来たのはきっとここが書店だからだ。本を買って読むというごくごく個人的なことのための場所が、「脈拍」を歌うニカさんの姿にぴたりと合っていた。これも、やはりニカさんの歌手としてのひとつの姿なのだと、本に囲まれて目を閉じてギターを弾きながら歌うニカさんを見て思った。北書店でのニカさんのライブは、早くも特別なものになった。
最近の仕事と育児
娘が産まれて10ヶ月になりました。
ここでもぼちぼち書いているとおり、少しずつ仕事を始めていますが、まだ「復帰しました!」とはとうてい言えない状況。
仕事、といっても、編集室屋上としての業務だけではなく(それでは生活できないし…泣!)、普段はフリーの編集&たまにライターという形で仕事をいただいています。
とりあえず、今のところ娘は保育園に入れていません。
認可保育園の一時保育にたまにお願いしていますが、普段は家で二人でゲラゲラ笑いながら過ごしています。
おおげさにいえば、これは、フリーランスで働きながら家で子育てをする、というのがどこまで可能なのかというわたしの挑戦でもあります。まあ、子どもを産み育てるだけで挑戦なわけですけど、せっかくフリーで、自分で働き方を調節できるのだから、まずは「家でみる」「保育園に入れない」、そのうえでどこまでできるか、やってみよ、と思ってます。
同じくフリーで働く友人から、どうですか、出産して。仕事、どうですか。っていう質問たくさん受けます。ということは、わたしの挑戦も書き記しておけばすこしは役に立てることもあるかもしれないと、思ったのです。
というわけで、とりあえず、10ヵ月現在のメモ。
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仕事をするのは基本、娘が寝たあとと、一時保育に預けた日、夫が休みの日。(でも夫が休みの日はできるだけわたしも休んだり出かけたりしたいので、あまり仕事してません)
ほぼ毎日夜20時くらいに寝るので、そのあと食事をして21時頃から仕事ができれば上出来。これを書いている今日はなぜか全然寝てくれなくて、やっと寝たのが22時……。
家で仕事をしているということは何時までやってもいいわけですが、まだ夜間授乳があるのと、娘が6時半、早いと5時半には起きるので、あんまり遅くまでは体力的にもたないというのが現状です。それに産後の不調から未だに抜け出せない(ので先日から鍼に通い始めました)。
仕事内容は、まずフリー仕事として産休前からやっていたWEBマガジンの編集が一本。
これのための編集会議が月に1回。
それから最小限の打合せでできるテープ起こしや原稿整理といった仕事。これがいまとても助かってます。
そして、屋上の仕事。
来年1月の新刊刊行に向けて、ゆっくり一冊、少しずつ作っているところ。
それから屋上の既刊本の発送や精算などの日々の業務。
今やっているのはこんなところです。これにイレギュラーな仕事がプラスアルファという感じ。
保育園に預けるのは大体週1回に落ち着いてきた。
わたしの家の近所は子育て世帯が少ないので、いわゆる待機児童もそれほど多くない、でもそのぶん保育園は最寄り駅に一つで小規模なので、入れやすいという状況ではないようす。
ただ、一時保育はそれほど詰まっていないので、今のところは希望通りにお願いできている。
が!8月に入って急にいっぱいに!
例年この時期に、というわけではないようなので、偶然が重なったみたいですが…。でもどちらにしても、4月~6月くらいが空きが多いのだそうです、むしろそっちが例外とのこと。
でも他の地域に住む友人たちに聞いたところでは、一時保育に入れるのも、申込開始日に毎月早朝から並ぶとか、チケットぴあ並に電話をかけまくるとかいう話もあったので、申込日にFAXぺろっとおくればまあまあなんとかなる、という町の状況はありがたいことだと思います。これも、産んでみるまでぜんぜん知りませんでした。
ただ、翌月の予約の可否が20日頃までわからないというのは、予定を立てる上ではかなり厳しいです。今も、来月の予定をヒヤヒヤしながら待っているところ。
預ける内訳(?)は月1回の前述のWEBマガジンの編集会議と、ほかは滞った仕事を片付ける日。
もしくは、これから進めたい本の仕込みをする日。
夜だけでははみ出た仕事を一気にする日。
……たまに、寝不足を解消する日。
その編集会議以外の打合せは、ご迷惑を承知で娘を連れて行っちゃっています。
お付き合いのあるみなさんは、快く受け入れてくださって本当に助かりますが、やっぱり相手方の会社に行くとか、静かなお店に行くとかは無理なので、連れて行くには制限もかなりあります。
現時点で、すでに「会議の日に一時保育がとれない」「娘が風邪をひいた」「私自身が絶不調」といったトラブルがあり、打合せを飛ばしたこと数回。会議にも無理やり連れて行ったこと一回。こんな状況なので、産前にできていた仕事は、ほとんどができていません。取材仕事や、締切が厳しい仕事は受けないほうが無難。
『屋上野球』のVol.3、じつは年内か、来年の春を目標に出そうとしていたんです。もう、つくりたくって、出したくって。止めたくなくって。でも、一人編集部体制で(手伝ってくれる人はいるし今後はもっと人に頼るつもりですが、それでも編集部は一人)、雑誌をつくるというのは取材や打合せがめまぐるしく入ってきます。あまり長い時間かけて作るのも好ましくないと思ってます。せいぜい、2~3ヵ月くらいで一気につくりたい。これを全部、ドタキャンなく乗り越える自身は、現状はとても考えられませんでした。あー、でもホント、すぐにでも出したいんだけど。この話は長くなるのでまた書きます。もうずっと悶々としています。
あれ、悶々としたところで終わってしまった。
今のところこんな日々です。見ておわかりのとおり、バリバリ仕事!には程遠いし、「わたしの子育てが落ち着くまでみんないい本出さないでくれ」って卑屈な気持ちになることも多いけど、でもまあなんでしょうね、「無理じゃなかったよ!」っていう感じでしょうか。
「いろいろあるけど毎日楽しくって娘の成長を見ていると全てがプラマイゼロになるよ」とはわたしは、言えないんですけど、正直。プラスはプラス、マイナスはマイナスで、それが合わさってゼロになるわけじゃなかった。
それをゼロと思える人も、いや、プラスに思える人のほうが多いとは思うんです。でもわたしは自分でつくった仕事をしているからというのもあるけれど、おそらくはもっと性格的なところで「焦り」の感情が強くて、そこをうまくコントロールできていません。だからって、後悔しているとか毎日がつらいとかではもちろんなくて、それはそれ、これはこれ、という感じになっちゃってる、というところです。
はー、書き出したらちょっとスッキリすることでした。
自分のスッキリだけでなく、誰かのお役に少しでも立てますように!