山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(後編)

古書ほうろうさんで開催された「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の刊行記念、著者の磯田健一郎さんと、映画『島々清しゃ』で主人公うみの母親、花島さんご役を演じられた山田真歩さんのトークイベント「映画と本の話をしよう」。
トークの後編です。今回は「島々清しゃ」はじめ映画のお話を伺いました。

司会・林さやか(編集室屋上)

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誰かに勝って上に行くというストーリーは震災のあとにやれなかった。(磯田)

――お二人が初めて一緒に映画にかかわられたのは先ほどもお話に出た『楽隊のうさぎ』ですね。磯田さんは音楽監督として、山田さんは不思議な生き物「うさぎ」として出演されました。
山田 『楽隊のうさぎ』は磯田さんが脚本も書かれたんですか?
磯田 いや、ぼくのところに話が来たときはもう脚本がありました。中沢けいさんの原作は青春ストーリーで、一人の男の子が吹奏楽をやって成長して、全国大会に行って……っていうわりとシンプルな話なんだけど、脚本もすでにできていた頃に東日本大震災があって「そういうのはできないね」っていう話になって。誰かに勝って上に行くというストーリーは震災のあとにやれなかった。「じゃあ負けよう」っていう話になったんです。中沢さんもそれを許してくださって、だから原作と設定も話も、撮影場所も違っています。原作は千葉のほうの設定だったけど、静岡県浜松市で撮影しました。浜松は静岡県の一番西の方の都市ですけど、浜岡原子力発電所というのがあるんですね。東海大地震がいつ来るかわからない状態で、浜岡は海から数十キロ平坦なところで高低差がないんです。もしも津波が来て、浜岡がやられてそのまま天竜川っていう巨大な川をさかのぼったら壊滅するんですよ。プロデューサーである越川道夫さんと脚本家と、とくにぼくとプロデューサーは浜松が地元でもあるし、そのことをずっと思いながら、もしも地震が起こったらどうなるんだっていうことを根っこに置いてやりました。あの映画は基本的に、子どもたちはオーディションで選んで、みんな素人なんですよ。
山田 地元の子で。
磯田 この子達の未来はどうなるんだろうと、あんまり楽観的には思えなかったんですね、当時震災の直後ですから。いつも頭にそれがありました。先程山田さんが当時どういうことを考えて芝居をしたかっていうノートを見せてもらったんですけど、ずっと死の匂いを感じていたと書かれてありましたね。
山田 だって「うさぎ」ってそういう存在じゃないですか?
磯田 うん、そういう存在です。なんだかわからないんだけど、音楽室の中にいて、座敷わらしでもないけどね。はじめは学校の校庭にいるとかいう話もあって、あまり決まりはなかった。
山田 きぐるみというわけではないけど、耳をつけて、衣装は着物みたいなちゃんちゃんこのようななものを着て、もんぺをはいてました。最初は白塗りにしてたんですけど子どもたちが怖がってしまってそれはやめたんですよね(笑)。
磯田 うん。原作では「うさぎ」は人の形とは書かれていなくて、主人公は動物としての「うさぎ」を見てる。
山田 「うさぎ」は主人公にしか見えないっていう設定で、小説なのでビジュアル化されていなかったんですよね。
磯田 中沢さんは本当はスポ根的な青春小説が書きたいという思いがあったものの、本当はいじめの問題を書きたかったんですね。いじめの力学はどういう風に走るのかっていうようなことを書きたかったそうです。僕らはそういうのを感じていたので、もっと大きな、目に見えない、何かに抑圧される力みたいなものをプロデューサーも感じて作っていたところはありました。「うさぎ」さんはどんなことを考えていましたか?
山田 最初は子どもたちを元気づける、勇気づけるみたいな存在だと思っていたんですけど、だんだん、みんなを叱咤激励じゃなくて、ただ「いる」というか、楽観的でただ笑っているみたいな存在にしようと思うようになったんです。普段最初は音楽から入るんですけど、最初はベートーヴェンとか聴いてたかな。結構激しかったんですけど、最後のほうは日本の太鼓の祭りの音楽とか聴いていました。
磯田 役作りをする時のイメージとして?
山田 そうです。最初はみんなを激励しようと思って、ベートーヴェンとか。でも違うなって思って。別に頑張ってても頑張らなくてもそこにいて笑ってる、そよ風みたいな……。そんな重厚な存在じゃなくて、なんでもない感じにしたかったんです。それから、1ヶ月くらい多摩動物園に通って動物のものまねをして歩くっていうこともしていました。動物園のパスポートを買って、ツルのモノマネして歩いたりとか。「うさぎ」の仕草というのを、動物のモノマネしているようにならないように、動物の「らしさ」が出たらいいなと思って。
――磯田さんが先程おっしゃったノートにあった「死の匂いを感じていた」ということ、覚えていらっしゃいますか?
山田 死ぬことについては役者を始めてからよく考えるようになったのかな。究極の感情みたいなのを引き出さなきゃいけないとき、自分が死ぬこととか、周りの家族とか好きな人がいなくなることを想像するようになるんです。そういうことを何回も何回も想像している。だから「うさぎ」の役をもらったときに初めて考えたわけじゃなくて、みんなには見えない存在なので、ノートにもそういうことを書いたのかな。死のことなんてなるべく考えたくないですけど、考えざるを得ないというときには、行き着くというか。

『島々清しゃ』の舞台になる学校は、米軍が上陸したところ(磯田)

磯田 『島々清しゃ』ではどうでしたか?
山田 撮影場所の慶留間島に最初着いたとき、すごい怖かったですね。人間が全然いない。私は撮影の三日前に着いて、することがなくて、朝とか島を散歩してたんですけど、まず植物が東京に生えてるものと違う、絵本に出てくるような植物が生えている。ガサガサって音がすると鹿がこっち見てたり、来ちゃ行けないところに来たなっていうのがあって。あるとき朝日を見ようと思って小高い山に登ったら、途中でここで集団自決がありましたという石碑みたいなものがあって。すごくその空気に強いものを感じました。那覇はスターバックスもあるし、車もバンバン通っていてまたちょっと違うんですけど、島はほんとに人が全然いないし、最初は着いて怖くて、「帰りたい」ってずっと泣いてました。
磯田 「沖縄、島で音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の表紙の写真にもなっているのは学校の前のビーチなんです。本の中にも書いたんですけど、米軍が上陸したのがここ、つまり学校に上陸したんです。当時は防波堤もなかったから、ビーチからそのまま校庭で、子どもたちは山に逃げて自決したんだけど、それが山田さんが知らずに登られた山だったんですね。沖縄の自決っていろいろあって、手榴弾もあるし、刃物もあるんだけど、慶留間島は資材がないから縄なんです。それに自決っていうけど、子どもが自決できるわけはなくて、親が絞め殺すんですね。あの山は元々は畑でしたが、今は誰も入ってはいけないところになっています。
山田 そうなんですか。全く知らないまま行ってしまいました。
磯田 ぼくは予備知識はあったけど、その慰霊碑には朝、仕事が始まる前に行って「おはようございます」と挨拶していました。今回、山田さんは本を読んでくれて「映画づくりって時間かかるんですね」って言っていましたけど。
山田 役者は役が決まったとかオーディションがあるよ、というときにある程度できた脚本をもらうので、実際に脚本ができるまでどういうことが行なわれているかわからないんです。役者は役者で準備がありますけど、そうじゃないところでもこんな風に動いていていろんな思いがあるんだなっていうのを本を読んで具体的に知りました。
磯田 すごく具体的に書いたんです。
山田 どこで撮るかというロケハンとか、音のこととか、どんな空間で撮るかっていうのをこれほど繊細に考えている。役者はそこに行って演技するんですが、本を読むとその空間をどう探してくるかっていうのに翻弄されていて、いろんなことを考えてここにしてくれたんだなって、「空間」のことを一番思いました。
磯田 さんご役を山田真歩にって言ったのは実はぼくなんです。
山田 『楽隊のうさぎ』でも『島々清しゃ』でも、磯田さんがかかわるのは音楽映画であることと、私にくれる役に踊りがあるのは共通していましたね。『島々清しゃ』のさんごは琉球舞踊を舞うシーンがあるので。どちらも印象に残る役で面白かったです。
――さんごの役作りというのは?
山田 踊りをするということは解放しなきゃいけないので、とにかく緊張しないで緩めるっていう意識でした。どうしたらその場所に漂っていることを仕草とか踊りで表現できるかなっていうのをずっと考えていたのは「うさぎ」と全く同じ。さんごはちょっとおバカさんの役だったんですが、衣装合わせのときに監督に「本の匂いがする」って言われたんです。「さんごさんは本とか読まないから」って。それでまずメガネをとって髪の毛をこうしようかとか、チャラチャラっていうアクセサリーをつけようとか、衣装からイメージをしていって。さんごさんを演じるのもすごく楽しかったです。琉球舞踊の古典の、カチャーシーとか速いものじゃなくて、琉球の昔からある舞踊を習いに行きました。
磯田 よく間違えられるのが、沖縄の音楽をみんなは「沖縄民謡」って思うんですけど違うんです。『島々清しゃ』で山田さんが踊ったのは古典、つまり宮廷音楽。
山田 ちょっとお能に近いようなものですよね。すごくゆっくり動く。
磯田 音使いが似てるから混ざりがちなんだけど、雅楽と民謡くらい違う。普通沖縄の踊りっていうみんなカチャーシーをイメージするんだけど、全く根っこが違うんです。
山田 扇を持って、ゆっくり動くっていう踊りでした。
磯田 ぼくは何度も観ているのに、『島々清しゃ』では未だにさんごさんを見て泣くの、ぐっと来ちゃって。実はできあがった『島々清しゃ』はぼくが最初に書いたシナリオとは全然違うんですけど、でもそれは当たり前のことで、監督の世界にしたいから、ぼくの世界じゃない。監督が撮りたいもの、撮れるものに寄せていくのが最終的につくったものだから。その世界として山田真歩っていう演じ手というのは必要不可欠だったなと思ってます。
――最後に、『島々清しゃ』はこれからも全国で上映を続けられますが、一言お願いします。
磯田 『島々清しゃ』は派手な映画ではなくて、ひたすら静かなんです。音楽映画といっていながら劇伴、つまり背景音楽はないんです。ずっと風の音とか並の音、虫の声とか鹿の声とか鳥の声がついています。実際現場で撮った音ですけど、飛び込んだから聴こえてるんじゃなくて、ちゃんと仕上げの段階で設計してつけてありまして、そういう部分によるミクロの物語性みたいなものは意識して作ってあります。沖縄の音楽に関しては「本物」しか使っていません。そのへんも含めてみていただければと思います。
山田 役者をやる中で「面白い役」に出会えるってなかなかあることではないんです。『楽隊のうさぎ』の「うさぎ」と『島々清しゃ』の「さんご」はずっと忘れないだろうなっていう役で、参加できたことを嬉しく思っています。もっと面白い役者にならないとなって思っています。

映画『島々清しゃ』公式サイト

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2017-04-30 | カテゴリー 屋上日記 |