山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(前編)

「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の刊行を記念して、著者の磯田健一郎さんと、映画『島々清しゃ』で主人公うみの母親、花島さんご役を演じられた山田真歩さんのトークイベントを開催しまいた。

山田さんは実は俳優になられる前、出版社勤務のご経験があるとか。音楽プロデューサーである著者の磯田さんもライターのご経験があり、お二人ともどうやら本好きらしい……? ということで、トークテーマは「映画と本の話をしよう」。
会場は、山田さんの雰囲気にもぴったりの古書ほうろうさんで開催しました。

今回は、その一部を前後編に分けて公開いたします。

司会・林さやか(編集室屋上)

◆つげ義春の漫画に出てくるような出版社のオフィスで(山田)

――現在は、山田さんは俳優として、磯田さんは音楽プロデューサーとしてご活躍されていますが、お二人とも本に関するお仕事がスタートだったそうですね。
磯田 ぼくは大学時代、獣医学が専攻だったのですが、すぐにバンドを組んでライブ活動をしながら、いわゆる物書きをやりたいなと思っていたんです。大学の図書館で求人欄を見ていたら小さい編集プロダクションが募集をかけていて、そこでライティングを始めたというのが最初ですね。住宅情報のような分厚い雑誌の見開き2ページのレイアウトとコピーを書いたのが一番最初の仕事だった記憶があります。そこの編プロの社長さんが『週刊漫画ゴラク』とかを出している日本文芸社の出身で、『週刊漫画ゴラク』の編集者と知り合いになりまして、漫画の原作を書くことになったりして。そんなことが最初で、ライティングをしつつ音楽をやりつつというような生活でした。それから結局フリーの物書きになって、漫画の原作もたくさん書いたし、エロ小説を書いたこともあるし、ジュニアホラーみたいのを書いたこともあるし、そういうことが出発点。
山田 そのお話、初めて聞きました。私は大学を卒業してしばらくはいろんな仕事というか、バイトをしてたんですね。2年くらいフリーターをしていてそろそろ働きたいなと思ってたとき、友達のお母さんに「今度、若者と憲法を語るっていうテーマで若者を探してるんだけど」誘われて。暇だったので御茶ノ水の喫茶店に行って、憲法学者の方や母親の会代表の方と話をしました。若者代表で友達と3人くらいで行って憲法のことを話したんですけど、「『若者と憲法を語る』っていうタイトルの冊子を出したい」って言われたので、「そのタイトルだと若者は読まないんじゃないですか?」って言ったんです(笑)。そこに出版社の社長さんが同席していて「じゃあ若者はいまどういう風に憲法を考えているんだろう?」ということで意見を言っていたら「うちで働かないか」っていわれて(笑)。「ちょうど人が足りないから、憲法の本を若者目線から作ってくれ」って、それがきっかけに出版社に入りました。
――じゃあ、最初に作った本は憲法の本だったんですか?
山田 そうです。次の日から働きなさいって言われて行ったのが御茶ノ水にあるつげ義春の漫画に出てくるようなオフィス。社員は5人くらいでそこで働くことになって、憲法はについては何も知らなかったので、憲法学者の方にたくさん質問する形で、それを文章にして、目次を考えて、本をつくりました。
――出版社と言われたときにイメージはあったんですか?
山田 全くなくて。本は好きだったんですけど、どんな風に作るかはわからなくて。見よう見まねで作った最初の本を他の大手の出版社の人に自信満々に見せて「これはなってないよ」って怒られて、悔しい思いをしたこともありました。入った会社は自費出版がメインのところだったので、1ヶ月に一人5冊くらい担当していて、原稿をもらったらすぐ出す。組版も表紙のデザインも全部編集者がやって、トーハンとか日販とかの取次に営業に持って行くっていうところまでやりました。
磯田 え、取次まで行ったの?
山田 行きました。でもそれが初めてだったので、普通はデザインはデザイナーさんに任せるとかそういうことも知らなかったので、それが私にとって出版社の姿ということだったんです。あとから本を読んだりして、「ほんとに私は非常識なことをしてたんだ」って思ったこともありました。でも、本作りの全ての過程に参加できて良かったな、と今は思っています。

◆出版社時代の経験が今の役作りに直結していると思います(山田)

――憲法の本を2年かけて作られてる間に、自費出版の本も担当されていたんですか?
山田 やりました。私の出版社では著者に会わずに本作りが始まることもありましたが、私は著者に全員会いに行って、どんな本にしたいのかを聞いて、「デザインどうしますか?」とか、「これだと伝えたいことが伝わらないですよ」と言って一緒に考えたりしてました。それで4年間働くなかで本作りが楽しくなってきて、装丁とかデザインとか、タイポグラフィとかに興味がいくようになって。たくさん海外の本とか、勉強するようになりました。
――どういう風に勉強をされていたんですか?
山田 たとえば昼休みに近くの図書館に行って、気になる背表紙を見ていると好きなものは同じ人が装丁していたりして。杉浦康平さんとか葛西薫さんとか、だんだん趣味がわかってきたので真似をしていました。もっと知りたいと思ったときに、早稲田の大学図書館に全国の装丁の資料がたくさんあるんです。私は早稲田大学生じゃなかったので、早稲田の社会人が受けられる講習を半年だけ受けて、パスをもらえるのでそれで入って勉強したりしていましたね。
――図書館に入ることが目的で?
山田 そうです。社長に、「山田さんは何しに早稲田に行ってるの?」と言われたりして(笑)。そもそも本づくりに2年もかけている人がいなくて、こっそりこっそりひた隠しにやってたんですけど。「山田さんちょっと時間かけすぎじゃない?」って言われました。
――いわゆる普通の出版社だと2年くらいかかることはよくありますね。
山田 ありますか。今回の磯田さんの本(「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」)はどうでしたか。
磯田 この本は、こういう映画を撮るよって言ったときから準備しているから、映画を撮る前からの話。3年くらいかかっているよね。
山田 そうなんですね。著者の人と会ってると、「この人こういうことが言いたいんだな」っていうことがわかると「じゃあこういうフォントにしよう」とか「こういう見返しの色がいいな」とか「タイトルはこうかな」というのが出てきて、自分がやりたくなってしまうんです。文章を書くのも面白かったんですけど、本全体のものが好きだったのかな。
磯田 出版社にいたのは知ってたけど、こういう話は全然聞いたことなかったね。役者活動をしていたときとはかぶっているの?
山田 磯田さんとお会いしたのは映画『楽隊のうさぎ』(2013年)が初めてでしたが、そのときは出版社は辞めて役者に専念していました。私は大学で演劇サークルに入っていて、大学を卒業してから柄本明さんの劇団東京乾電池を受けてオーディションに受かって、1年くらいワークショップ生だったんです。でも正式なメンバーにはならなかったので、それ以降ずっとふらふらしていて。そのあと出版社に4年間勤めて、映画に出るようになって退職しました。
磯田 出版社にいたときは役者の活動は?
山田 役者をやりたかったんですけど、本作りが楽しくなってきて、自分を表現するのが役者以外にもあるんだって思いました。出版社の時代にいろんな著者の方と会って、「この人はどんなことが言いたいのか」とか話を聞いて「どんな本にしよう」と考える体験は、今の仕事の役作りに直結していると思います。大学生の頃はもっと「自分はこうしたい!」というのが強かったから、そうじゃなくて、その人の言いたいことを翻訳する、形にするのはどうしたらいいかということに4年間ずっと付き合っていた感じで。その経験がなかったら『楽隊のうさぎ』の「うさぎ」役とか、今回のお母さんの役とか、ああいうことはできなかったんじゃないかと、今だから思います。

映画の話を伺った後編はこちらから

 


2017-04-28 | カテゴリー 屋上日記 |