屋上日記

さいきんの本ミニ 5月27日

週1回更新、ギリギリアウトな土曜日の夜です。

今週は微妙〜〜な風邪をひいてしまい、うっすら不調で過ごしました。

というわけで「さいきんの本ミニ」でお送りします。


といっても、さいきんでもなんでもない。先日、わたしの主催している東京野球ブックフェアについて取材をしていただく機会があり、そのときに関連する本を持ってきてほしいと言われたので、「東京野球ブックフェアを語るにあたって重要な本」、もっとフツーの言い方をすると「東京野球ブックフェアを始めるきっかけになった本」みたいなものを集めてみました。

このとき、すごーく久しぶりに『白球礼賛』を読んだら、すごく新鮮な気持ちで読めて、もちろん、素晴らしかったです。

2017-05-27 | カテゴリー さいきんの本, 屋上日記

 

さいきんの本(5月19日)

先週から思いつきではじめた「さいきんの本」という日記、週1とかいってしまって危うく最初から続かなくなるところでした。

早足でいきます!

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馬場わかなさんに初めてお会いしたのは、たしかニカさんのライブで。
屋上として最初の本『二階堂和美 しゃべったり 書いたり』で、わかなさんの撮影されたニカバンドの写真を使わせていただき、そのあとでご挨拶させていただいたんだったような。
それ以降、様々な場所でお会いして話させていただくこともあり、わたしはわかなさんのお人柄と雰囲気に会うたびガツンガツンやられているんですが(表現が変ですみません、カッコイイんです)、やっぱりそのお写真にも、ガツンガツンやられっぱなし。

雑誌などで写真を見かけるときも、みんながもう声を揃えていうようにわかなさんの撮る人の写真はすばらしい、料理も美しい、のですが、それはそれとして!っていいたくなるくらい、この『人と料理』の写真はまたすてきでした。

『人と料理』/馬場わかな/アノニマ・スタジオ

この間、珍しく恵比寿での仕事の合間に時間があったので「わかなさんの写真のパネル展やってるんだ!」と思い出して代官山蔦屋に行ったら前日までで、わたしの行った日はなんだかすごいハイソなフリマをやっていました。わたしが新品で買うものの10倍くらいの価格感のフリマでした。

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これは”さいきん”ではないんだけど、「みんなあれ読んだ!?」って言いたくなる一冊、『バッド・フェミニスト』。
まったくピンとこない固有名詞も多いから読み飛ばしつつ読んだのですけど(すみません)、気持ちがスッキリしながら笑えて「あはは、わたしもフェミニストだったわ」みたいなざっくり加減で考えることができて、自分にとってすごくありがたい一冊でした。


『バッド・フェミニスト』/ロクサーヌ・ゲイ/野中モモ 訳/亜紀書房

好きな一文を。

女の友情は意地悪で有毒で競争がつきものだという文化的神話は無視すること。この神話は言ってみればハイヒールと小さなハンドバッグのようなもの――きれいだけれど女性の動きを「鈍く」させるようにデザインされています。

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単行本が2007年に出たときから読みたいなーきっと面白いだろうなーと思っていたけれど読まないままに来てしまった『ぼくには数字が風景に見える』を文庫で見つけたので読んでます。やっぱり面白かった。ていうか見つけたって書いたけど2016年に出ていた……。
わたしは発達障害の当事者研究のようなものに興味があるんですが、そういったものとも違う感触で、小説のように読めます(古屋美登里さんの訳によるところも大きいのかも、それは原文の読めないわたしにはわからないのですが)。

『ぼくには数字が風景に見える』/ダニエル・タメット/古屋美登里 訳/講談社文庫

前半を読んでいて、ひと(自分)の感覚というものをこうして掘り下げて描くということをすれば、誰でも少しずつ違うはずで、その差異の大きさはあれど、違いこそを大事にしないといけないのだなー、と思ったりしました。中庸に近いところにいると、何かに対してみんな同じ感覚を抱くように思ってしまうけれど、そんなはずはないわけで。あ、まとまらないのでこのへんで失礼します!

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しかし本当に写真がへたなので書影をべたっと貼り付けたほうが魅力的なのではないかと思うんですが、写真のほうが「手元にある感」があるので、ちょっとがんばってみます。

2017-05-19 | カテゴリー さいきんの本, 屋上日記, 未分類

 

さいきんの本(5月11日)

こんにちは、編集室屋上の林です。

ブログを書こうと思えば思うほどうまくいかないので、ちょっと試しに定期的に本について書いてみることにしました。
といっても書評も感想文も苦手なので、「こんな本読んでいる」「この本が気になっている」というくらいのものです。
だれの役にも立たないかもしれませんが、SNSなどで「これ読んだ!」というだけで「おっ」と気になることもあるし、ちょっとは楽しんでくれる方がいるかもしれません。
自分のメモにもなるし、という気持ちもありますが、でもこれをアップして今日の夜中には「ああああああ読んだ本のことなんか書かなければよかったよおおおおお」となるに違いないんですけどね……。

自意識に負けずに書きます。

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先日、終了間際の世田谷美術館「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」展に行きました。
花森安治についての本はいろいろ読んできたし(といってもほとんど内容は忘れていますが、エッセンスは覚えているはず)なんとなくわかっていることも多いのですが、改めてその仕事を見ると圧巻で、月並みながらもっとがんばらなくては、と思うのでした。

一時期の『暮しの手帖』表紙で使われている写真(花森安治撮影)のプリントも展示されていたのですが、それがすごくよかったです。写真までうまいんかーい

見たときの気持ちを忘れないようにしよう!という決意とともに、図録を買ったので家でよく眺めています。


『花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼』図録

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主に野球関連でお世話になっている村瀬秀信さんの新刊『それでもチェーン店ばかりでメシを食べている』がおもしろいです。雑誌『散歩の達人』連載の単行本化2冊め。世の中には「ちゃんとしておいしい」ものもたくさんあるのを知りつつある30代ですが、でもチェーン店、好きっすわー、という気持ちを素直に素直に、何も他意なく持ち続けたいと思うものです。だってチェーン店好きじゃなかったらこの本の楽しさわかりませんよ。

『それでもチェーン店ばかりでメシを食べている』/交通新聞社

影響を受けています↓

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わたしは川上未映子さんのエッセイがほんとうに本当に好きです。『週刊新潮』の連載「オモロマンティックボム!」は気づいたら読むくらいの感じで、その連載から厳選したエッセイ集が文庫になったので読んでいます。ご本人もまえがきで「ひとつひとつの文量がちょうどいい」と書いているとおりで、まああの週刊誌連載の長さという感じですので本当に「ちょうどいい」。風呂読書本としても長さ、軽妙さはちょうどいいのですが、とはいってもたまに心にズバっと来てしばらく考え込んでしまったりすることもあります。

『すべてはあの謎にむかって』/新潮文庫

あ、そういえば、この装画と挿絵を描いていらっしゃるレイキンさんこと多田玲子さんの個展にも先日行きましたが、まーすばらしかったです!

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番外編

さいきん、家にコデマリの木を植えまして。
「コデマリのある家」というのがずっと憧れだったんですが、そのきっかけが「もりはおもしろランド」シリーズの登場人物(?)「こでまりの木の下に住むねずみのおじょうさん」。のちにサンドイッチやさんを開業。

『もりのサンドイッチやさん』/偕成社
もりでのドタバタストーリーが面白く、「ぽっぺん先生」の舟崎克彦さんによる挿絵がこどもの頃大好きでした。2歳7ヶ月の娘には話が長いようで読んでも1ページで脱落しますが。

最近の娘のお気に入りはこちら(アンパンマン以外では)。


『おでかけのまえに』/福音館

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では、また来週!

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編集室屋上の最新刊「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」発売中です。
刊行を記念して古書ほうろうさんで開催した山田真歩さんと磯田健一郎さんによるトーク「映画と本の話をしよう」の内容もこちらでお読みいただけます。
山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(前編)
山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(後編)
女優・山田真歩さんが編集者時代の話をみっちり!

2017-05-11 | カテゴリー さいきんの本, 屋上日記

 

山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(後編)

古書ほうろうさんで開催された「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の刊行記念、著者の磯田健一郎さんと、映画『島々清しゃ』で主人公うみの母親、花島さんご役を演じられた山田真歩さんのトークイベント「映画と本の話をしよう」。
トークの後編です。今回は「島々清しゃ」はじめ映画のお話を伺いました。

司会・林さやか(編集室屋上)

←山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(前編)

誰かに勝って上に行くというストーリーは震災のあとにやれなかった。(磯田)

――お二人が初めて一緒に映画にかかわられたのは先ほどもお話に出た『楽隊のうさぎ』ですね。磯田さんは音楽監督として、山田さんは不思議な生き物「うさぎ」として出演されました。
山田 『楽隊のうさぎ』は磯田さんが脚本も書かれたんですか?
磯田 いや、ぼくのところに話が来たときはもう脚本がありました。中沢けいさんの原作は青春ストーリーで、一人の男の子が吹奏楽をやって成長して、全国大会に行って……っていうわりとシンプルな話なんだけど、脚本もすでにできていた頃に東日本大震災があって「そういうのはできないね」っていう話になって。誰かに勝って上に行くというストーリーは震災のあとにやれなかった。「じゃあ負けよう」っていう話になったんです。中沢さんもそれを許してくださって、だから原作と設定も話も、撮影場所も違っています。原作は千葉のほうの設定だったけど、静岡県浜松市で撮影しました。浜松は静岡県の一番西の方の都市ですけど、浜岡原子力発電所というのがあるんですね。東海大地震がいつ来るかわからない状態で、浜岡は海から数十キロ平坦なところで高低差がないんです。もしも津波が来て、浜岡がやられてそのまま天竜川っていう巨大な川をさかのぼったら壊滅するんですよ。プロデューサーである越川道夫さんと脚本家と、とくにぼくとプロデューサーは浜松が地元でもあるし、そのことをずっと思いながら、もしも地震が起こったらどうなるんだっていうことを根っこに置いてやりました。あの映画は基本的に、子どもたちはオーディションで選んで、みんな素人なんですよ。
山田 地元の子で。
磯田 この子達の未来はどうなるんだろうと、あんまり楽観的には思えなかったんですね、当時震災の直後ですから。いつも頭にそれがありました。先程山田さんが当時どういうことを考えて芝居をしたかっていうノートを見せてもらったんですけど、ずっと死の匂いを感じていたと書かれてありましたね。
山田 だって「うさぎ」ってそういう存在じゃないですか?
磯田 うん、そういう存在です。なんだかわからないんだけど、音楽室の中にいて、座敷わらしでもないけどね。はじめは学校の校庭にいるとかいう話もあって、あまり決まりはなかった。
山田 きぐるみというわけではないけど、耳をつけて、衣装は着物みたいなちゃんちゃんこのようななものを着て、もんぺをはいてました。最初は白塗りにしてたんですけど子どもたちが怖がってしまってそれはやめたんですよね(笑)。
磯田 うん。原作では「うさぎ」は人の形とは書かれていなくて、主人公は動物としての「うさぎ」を見てる。
山田 「うさぎ」は主人公にしか見えないっていう設定で、小説なのでビジュアル化されていなかったんですよね。
磯田 中沢さんは本当はスポ根的な青春小説が書きたいという思いがあったものの、本当はいじめの問題を書きたかったんですね。いじめの力学はどういう風に走るのかっていうようなことを書きたかったそうです。僕らはそういうのを感じていたので、もっと大きな、目に見えない、何かに抑圧される力みたいなものをプロデューサーも感じて作っていたところはありました。「うさぎ」さんはどんなことを考えていましたか?
山田 最初は子どもたちを元気づける、勇気づけるみたいな存在だと思っていたんですけど、だんだん、みんなを叱咤激励じゃなくて、ただ「いる」というか、楽観的でただ笑っているみたいな存在にしようと思うようになったんです。普段最初は音楽から入るんですけど、最初はベートーヴェンとか聴いてたかな。結構激しかったんですけど、最後のほうは日本の太鼓の祭りの音楽とか聴いていました。
磯田 役作りをする時のイメージとして?
山田 そうです。最初はみんなを激励しようと思って、ベートーヴェンとか。でも違うなって思って。別に頑張ってても頑張らなくてもそこにいて笑ってる、そよ風みたいな……。そんな重厚な存在じゃなくて、なんでもない感じにしたかったんです。それから、1ヶ月くらい多摩動物園に通って動物のものまねをして歩くっていうこともしていました。動物園のパスポートを買って、ツルのモノマネして歩いたりとか。「うさぎ」の仕草というのを、動物のモノマネしているようにならないように、動物の「らしさ」が出たらいいなと思って。
――磯田さんが先程おっしゃったノートにあった「死の匂いを感じていた」ということ、覚えていらっしゃいますか?
山田 死ぬことについては役者を始めてからよく考えるようになったのかな。究極の感情みたいなのを引き出さなきゃいけないとき、自分が死ぬこととか、周りの家族とか好きな人がいなくなることを想像するようになるんです。そういうことを何回も何回も想像している。だから「うさぎ」の役をもらったときに初めて考えたわけじゃなくて、みんなには見えない存在なので、ノートにもそういうことを書いたのかな。死のことなんてなるべく考えたくないですけど、考えざるを得ないというときには、行き着くというか。

『島々清しゃ』の舞台になる学校は、米軍が上陸したところ(磯田)

磯田 『島々清しゃ』ではどうでしたか?
山田 撮影場所の慶留間島に最初着いたとき、すごい怖かったですね。人間が全然いない。私は撮影の三日前に着いて、することがなくて、朝とか島を散歩してたんですけど、まず植物が東京に生えてるものと違う、絵本に出てくるような植物が生えている。ガサガサって音がすると鹿がこっち見てたり、来ちゃ行けないところに来たなっていうのがあって。あるとき朝日を見ようと思って小高い山に登ったら、途中でここで集団自決がありましたという石碑みたいなものがあって。すごくその空気に強いものを感じました。那覇はスターバックスもあるし、車もバンバン通っていてまたちょっと違うんですけど、島はほんとに人が全然いないし、最初は着いて怖くて、「帰りたい」ってずっと泣いてました。
磯田 「沖縄、島で音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の表紙の写真にもなっているのは学校の前のビーチなんです。本の中にも書いたんですけど、米軍が上陸したのがここ、つまり学校に上陸したんです。当時は防波堤もなかったから、ビーチからそのまま校庭で、子どもたちは山に逃げて自決したんだけど、それが山田さんが知らずに登られた山だったんですね。沖縄の自決っていろいろあって、手榴弾もあるし、刃物もあるんだけど、慶留間島は資材がないから縄なんです。それに自決っていうけど、子どもが自決できるわけはなくて、親が絞め殺すんですね。あの山は元々は畑でしたが、今は誰も入ってはいけないところになっています。
山田 そうなんですか。全く知らないまま行ってしまいました。
磯田 ぼくは予備知識はあったけど、その慰霊碑には朝、仕事が始まる前に行って「おはようございます」と挨拶していました。今回、山田さんは本を読んでくれて「映画づくりって時間かかるんですね」って言っていましたけど。
山田 役者は役が決まったとかオーディションがあるよ、というときにある程度できた脚本をもらうので、実際に脚本ができるまでどういうことが行なわれているかわからないんです。役者は役者で準備がありますけど、そうじゃないところでもこんな風に動いていていろんな思いがあるんだなっていうのを本を読んで具体的に知りました。
磯田 すごく具体的に書いたんです。
山田 どこで撮るかというロケハンとか、音のこととか、どんな空間で撮るかっていうのをこれほど繊細に考えている。役者はそこに行って演技するんですが、本を読むとその空間をどう探してくるかっていうのに翻弄されていて、いろんなことを考えてここにしてくれたんだなって、「空間」のことを一番思いました。
磯田 さんご役を山田真歩にって言ったのは実はぼくなんです。
山田 『楽隊のうさぎ』でも『島々清しゃ』でも、磯田さんがかかわるのは音楽映画であることと、私にくれる役に踊りがあるのは共通していましたね。『島々清しゃ』のさんごは琉球舞踊を舞うシーンがあるので。どちらも印象に残る役で面白かったです。
――さんごの役作りというのは?
山田 踊りをするということは解放しなきゃいけないので、とにかく緊張しないで緩めるっていう意識でした。どうしたらその場所に漂っていることを仕草とか踊りで表現できるかなっていうのをずっと考えていたのは「うさぎ」と全く同じ。さんごはちょっとおバカさんの役だったんですが、衣装合わせのときに監督に「本の匂いがする」って言われたんです。「さんごさんは本とか読まないから」って。それでまずメガネをとって髪の毛をこうしようかとか、チャラチャラっていうアクセサリーをつけようとか、衣装からイメージをしていって。さんごさんを演じるのもすごく楽しかったです。琉球舞踊の古典の、カチャーシーとか速いものじゃなくて、琉球の昔からある舞踊を習いに行きました。
磯田 よく間違えられるのが、沖縄の音楽をみんなは「沖縄民謡」って思うんですけど違うんです。『島々清しゃ』で山田さんが踊ったのは古典、つまり宮廷音楽。
山田 ちょっとお能に近いようなものですよね。すごくゆっくり動く。
磯田 音使いが似てるから混ざりがちなんだけど、雅楽と民謡くらい違う。普通沖縄の踊りっていうみんなカチャーシーをイメージするんだけど、全く根っこが違うんです。
山田 扇を持って、ゆっくり動くっていう踊りでした。
磯田 ぼくは何度も観ているのに、『島々清しゃ』では未だにさんごさんを見て泣くの、ぐっと来ちゃって。実はできあがった『島々清しゃ』はぼくが最初に書いたシナリオとは全然違うんですけど、でもそれは当たり前のことで、監督の世界にしたいから、ぼくの世界じゃない。監督が撮りたいもの、撮れるものに寄せていくのが最終的につくったものだから。その世界として山田真歩っていう演じ手というのは必要不可欠だったなと思ってます。
――最後に、『島々清しゃ』はこれからも全国で上映を続けられますが、一言お願いします。
磯田 『島々清しゃ』は派手な映画ではなくて、ひたすら静かなんです。音楽映画といっていながら劇伴、つまり背景音楽はないんです。ずっと風の音とか並の音、虫の声とか鹿の声とか鳥の声がついています。実際現場で撮った音ですけど、飛び込んだから聴こえてるんじゃなくて、ちゃんと仕上げの段階で設計してつけてありまして、そういう部分によるミクロの物語性みたいなものは意識して作ってあります。沖縄の音楽に関しては「本物」しか使っていません。そのへんも含めてみていただければと思います。
山田 役者をやる中で「面白い役」に出会えるってなかなかあることではないんです。『楽隊のうさぎ』の「うさぎ」と『島々清しゃ』の「さんご」はずっと忘れないだろうなっていう役で、参加できたことを嬉しく思っています。もっと面白い役者にならないとなって思っています。

映画『島々清しゃ』公式サイト

「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」書籍詳細

2017-04-30 | カテゴリー 屋上日記

 

山田真歩さん×磯田健一郎さんトークイベント「映画と本の話をしよう」@古書ほうろう(前編)

「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」の刊行を記念して、著者の磯田健一郎さんと、映画『島々清しゃ』で主人公うみの母親、花島さんご役を演じられた山田真歩さんのトークイベントを開催しまいた。

山田さんは実は俳優になられる前、出版社勤務のご経験があるとか。音楽プロデューサーである著者の磯田さんもライターのご経験があり、お二人ともどうやら本好きらしい……? ということで、トークテーマは「映画と本の話をしよう」。
会場は、山田さんの雰囲気にもぴったりの古書ほうろうさんで開催しました。

今回は、その一部を前後編に分けて公開いたします。

司会・林さやか(編集室屋上)

◆つげ義春の漫画に出てくるような出版社のオフィスで(山田)

――現在は、山田さんは俳優として、磯田さんは音楽プロデューサーとしてご活躍されていますが、お二人とも本に関するお仕事がスタートだったそうですね。
磯田 ぼくは大学時代、獣医学が専攻だったのですが、すぐにバンドを組んでライブ活動をしながら、いわゆる物書きをやりたいなと思っていたんです。大学の図書館で求人欄を見ていたら小さい編集プロダクションが募集をかけていて、そこでライティングを始めたというのが最初ですね。住宅情報のような分厚い雑誌の見開き2ページのレイアウトとコピーを書いたのが一番最初の仕事だった記憶があります。そこの編プロの社長さんが『週刊漫画ゴラク』とかを出している日本文芸社の出身で、『週刊漫画ゴラク』の編集者と知り合いになりまして、漫画の原作を書くことになったりして。そんなことが最初で、ライティングをしつつ音楽をやりつつというような生活でした。それから結局フリーの物書きになって、漫画の原作もたくさん書いたし、エロ小説を書いたこともあるし、ジュニアホラーみたいのを書いたこともあるし、そういうことが出発点。
山田 そのお話、初めて聞きました。私は大学を卒業してしばらくはいろんな仕事というか、バイトをしてたんですね。2年くらいフリーターをしていてそろそろ働きたいなと思ってたとき、友達のお母さんに「今度、若者と憲法を語るっていうテーマで若者を探してるんだけど」誘われて。暇だったので御茶ノ水の喫茶店に行って、憲法学者の方や母親の会代表の方と話をしました。若者代表で友達と3人くらいで行って憲法のことを話したんですけど、「『若者と憲法を語る』っていうタイトルの冊子を出したい」って言われたので、「そのタイトルだと若者は読まないんじゃないですか?」って言ったんです(笑)。そこに出版社の社長さんが同席していて「じゃあ若者はいまどういう風に憲法を考えているんだろう?」ということで意見を言っていたら「うちで働かないか」っていわれて(笑)。「ちょうど人が足りないから、憲法の本を若者目線から作ってくれ」って、それがきっかけに出版社に入りました。
――じゃあ、最初に作った本は憲法の本だったんですか?
山田 そうです。次の日から働きなさいって言われて行ったのが御茶ノ水にあるつげ義春の漫画に出てくるようなオフィス。社員は5人くらいでそこで働くことになって、憲法はについては何も知らなかったので、憲法学者の方にたくさん質問する形で、それを文章にして、目次を考えて、本をつくりました。
――出版社と言われたときにイメージはあったんですか?
山田 全くなくて。本は好きだったんですけど、どんな風に作るかはわからなくて。見よう見まねで作った最初の本を他の大手の出版社の人に自信満々に見せて「これはなってないよ」って怒られて、悔しい思いをしたこともありました。入った会社は自費出版がメインのところだったので、1ヶ月に一人5冊くらい担当していて、原稿をもらったらすぐ出す。組版も表紙のデザインも全部編集者がやって、トーハンとか日販とかの取次に営業に持って行くっていうところまでやりました。
磯田 え、取次まで行ったの?
山田 行きました。でもそれが初めてだったので、普通はデザインはデザイナーさんに任せるとかそういうことも知らなかったので、それが私にとって出版社の姿ということだったんです。あとから本を読んだりして、「ほんとに私は非常識なことをしてたんだ」って思ったこともありました。でも、本作りの全ての過程に参加できて良かったな、と今は思っています。

◆出版社時代の経験が今の役作りに直結していると思います(山田)

――憲法の本を2年かけて作られてる間に、自費出版の本も担当されていたんですか?
山田 やりました。私の出版社では著者に会わずに本作りが始まることもありましたが、私は著者に全員会いに行って、どんな本にしたいのかを聞いて、「デザインどうしますか?」とか、「これだと伝えたいことが伝わらないですよ」と言って一緒に考えたりしてました。それで4年間働くなかで本作りが楽しくなってきて、装丁とかデザインとか、タイポグラフィとかに興味がいくようになって。たくさん海外の本とか、勉強するようになりました。
――どういう風に勉強をされていたんですか?
山田 たとえば昼休みに近くの図書館に行って、気になる背表紙を見ていると好きなものは同じ人が装丁していたりして。杉浦康平さんとか葛西薫さんとか、だんだん趣味がわかってきたので真似をしていました。もっと知りたいと思ったときに、早稲田の大学図書館に全国の装丁の資料がたくさんあるんです。私は早稲田大学生じゃなかったので、早稲田の社会人が受けられる講習を半年だけ受けて、パスをもらえるのでそれで入って勉強したりしていましたね。
――図書館に入ることが目的で?
山田 そうです。社長に、「山田さんは何しに早稲田に行ってるの?」と言われたりして(笑)。そもそも本づくりに2年もかけている人がいなくて、こっそりこっそりひた隠しにやってたんですけど。「山田さんちょっと時間かけすぎじゃない?」って言われました。
――いわゆる普通の出版社だと2年くらいかかることはよくありますね。
山田 ありますか。今回の磯田さんの本(「沖縄、シマで音楽映画『島々清しゃ』ができるまで」)はどうでしたか。
磯田 この本は、こういう映画を撮るよって言ったときから準備しているから、映画を撮る前からの話。3年くらいかかっているよね。
山田 そうなんですね。著者の人と会ってると、「この人こういうことが言いたいんだな」っていうことがわかると「じゃあこういうフォントにしよう」とか「こういう見返しの色がいいな」とか「タイトルはこうかな」というのが出てきて、自分がやりたくなってしまうんです。文章を書くのも面白かったんですけど、本全体のものが好きだったのかな。
磯田 出版社にいたのは知ってたけど、こういう話は全然聞いたことなかったね。役者活動をしていたときとはかぶっているの?
山田 磯田さんとお会いしたのは映画『楽隊のうさぎ』(2013年)が初めてでしたが、そのときは出版社は辞めて役者に専念していました。私は大学で演劇サークルに入っていて、大学を卒業してから柄本明さんの劇団東京乾電池を受けてオーディションに受かって、1年くらいワークショップ生だったんです。でも正式なメンバーにはならなかったので、それ以降ずっとふらふらしていて。そのあと出版社に4年間勤めて、映画に出るようになって退職しました。
磯田 出版社にいたときは役者の活動は?
山田 役者をやりたかったんですけど、本作りが楽しくなってきて、自分を表現するのが役者以外にもあるんだって思いました。出版社の時代にいろんな著者の方と会って、「この人はどんなことが言いたいのか」とか話を聞いて「どんな本にしよう」と考える体験は、今の仕事の役作りに直結していると思います。大学生の頃はもっと「自分はこうしたい!」というのが強かったから、そうじゃなくて、その人の言いたいことを翻訳する、形にするのはどうしたらいいかということに4年間ずっと付き合っていた感じで。その経験がなかったら『楽隊のうさぎ』の「うさぎ」役とか、今回のお母さんの役とか、ああいうことはできなかったんじゃないかと、今だから思います。

映画の話を伺った後編はこちらから

 

2017-04-28 | カテゴリー 屋上日記

 

『屋上野球』再スタートのいろいろ

久しぶりに『屋上野球』についてのお知らせです。

2014年7月にVol.2を出してから早2年半。
「号外」として16ページの冊子を作りました。
わたしが主催者のひとりである「東京野球ブックフェア」というイベントに合わせて制作し、このたび通販も開始します。
号外といっても内容はしっかり読んでいただけるものです!
巻頭は、『に・褒められたくて』の著者でもあるながさわたかひろさんの最新インタビュー。
その他、「Vol.3を出します!」と宣言と特集のお知らせをして、ミニ特集としてえのきどいちろうさんにエッセイを、ばばかよさんに漫画を書いていただいています。

通販はコチラから。
屋上野球 号外 | 編集室屋上書店
定価200円、送料込みで300円としました。銀行振込だと手数料がかかってしまってなんだかな、という感じですがクレジット決済も可能です。

なんだか濁してきたような気もしますが、この休みは簡単にいうと産休・育休でした。
Vol.2刊行時が妊娠7ヶ月。その後出産を経て、単行本の刊行はなんとか続けてきたので「なんで『屋上野球』はやらないの?」という声をいただいたこともあったのですが、単行本の編集(及び営業)と雑誌形式をとる『屋上野球』とは制作の状況も違っていて、今の状況ではとてもできませんでした。打合せの回数も多く、基本的に相手の都合に合わせる取材も入ってくる。わたしは子どもを保育園に預けずに、週に数回の一時保育と子どもが寝ている時間に仕事するという強行突破をしてきたので、雑誌の制作には生活スタイルが追いつきませんでした。「だからできなかった」っていうよりは、それもある程度わかっていたうえでこの生活を選んだので、待っていただいた方や不定期とはいえ連載をお願いしていたみなさんには申し訳ないことなのですが。

で、なぜこのタイミングで「Vol.3つくります!」と宣言しているかといえば、子どもの保育園入園が決まったからです。(第四希望だけど!車で15分かかるけど!)

……今、このことをちまちま書いていたら、待機児童問題のことへの愚痴がものすごく長くなってしまい、でもあらゆる人に「配慮」する文章は書けず、情けないので消しました。

待機児童問題。厳しいです。わたしは娘2歳児のタイミングで入園が決まって、これは幸運な部類といえます。この状況で、「保育園落ちた」という方にも何の違和感もない言葉は紡げないと思います。と、こんなことを考えないといけない。つまり、「同じ年代の子どもを持つ親」を分断させる問題が、待機児童問題でもあります。このこともまた、厳しいです。

話がそれてしまいましたが、こんな状況なのでこんなに間が空いてしまったよ、という言い訳なのでした。この2年半の間、思いつく企画はメモすることしかできず、新しい雑誌が現れると嫉妬をし、という日々でしたが、そのぶん溜め込んだいろいろを『屋上野球』Vol.3に詰め込みたいと思います。

まずは『屋上野球』号外、ぜひ読んでいただきたいです。
通販はこちらの屋上公式通販のみ、Amazonなどの取扱はありません。
一部を除いて書店さんに卸すこともないと思います。
屋上野球 号外 | 編集室屋上書店
ぜひぜひ。この売上が、Vol.3制作の後押しになります。笑

そんなわけなので、これからはブログもいっぱい更新していこーっと思います!!

2017-03-29 | カテゴリー つれづれ, 屋上日記

 

【新刊発売】沖縄、シマで音楽映画


さあ、いよいよ!
本日18日頃から早いところでは店頭に並び始めます!
映画「島々清しゃ」の公開は1月21日(土)、その前に読んでいただくもよし、映画を見てから読んでいただくもよし。
本の中に映画のネタバレはありませんので、安心して読んでいただければと思います。
個人的には、映画を見て、本を読んでいただき、もう一度映画を見ていただくのがおすすめです。(笑)
いや、笑い事でなく、もう一度見たくなるんです。

磯田さんと出会ったのはもう10年ほど?前になるのですが(記憶があやふや…)それは置いておいて、映画「楽隊のうさぎ」の音楽監督をされた際に久しぶりの再会となりました。
(いま思い返しても「楽隊のうさぎ」すばらしい映画でした。また劇場で観たい)
その後、メールのやりとりを見返してみると、磯田さんが映画の撮影を始める、というご連絡をくださり、わたしが「それを本にしたい!」と突然言い出しているのが2015年7月のこと。
長いような短いような、1年半で本になりました。

この本は、「島々清しゃ」という映画の制作の記録であり、「音楽映画をつくる」ことに心血を注ぐ磯田さんのエッセイであり、映画をつくる人、つくりたい人にとっては指南書でもあるかもしれません。
そして何よりも、沖縄という場所と、映画への愛がにじみ出る本です。
ある書店さんで「いま沖縄って社会問題で取り上げられることが多くて、海がきれいとか人がやさしいとかそういう沖縄の良さを伝えるということのほうが難しくなっているよね」と言われました。
沖縄という場所が、いわゆる社会問題になるような悲しさをずっと抱えていることは事実で、それは沖縄の人々の生活には常に寄り添っているものだと思います。
でもこのとき言われたとおり、ただ素晴らしい場所としての「沖縄」がまずあって、この映画「島々清しゃ」はそれを存分に伝えるものだし、それを描いたこの『沖縄、シマで音楽映画』という本もまた、そのことを伝えていると思います。

いま、著者の磯田さんは沖縄に滞在中。
映画のモチーフになった名曲「島々清しゃ」の作曲者である普久原恒勇さんに本をお渡しいただきました。

著者の磯田さんは普久原恒勇さんの語り下ろし本『芭蕉布』も上梓されています。ボーダインク刊。

冒頭でお伝えしたとおり、早いところでは今日からお店に並んでおり、Amazonでもご購入いただけます。
買いやすいお店はこちらにまとめました。
沖縄県内でも、ジュンク堂書店那覇店、市場の古本屋ウララ、ちはや書房、CAFE UNIZON、そして上映館である桜坂劇場には直接お送りしているので到着している頃かと思います。
その他のお店には少しお時間かかると思いますが、もう少しお待ちくださいませ。

2017-01-18 | カテゴリー 屋上おしらせ, 屋上日記

 

2017年 遅ればせながらご挨拶

新年のご挨拶をするような時期でもなくなってしまいました。
いつまで経ってもこんなふうに、遅くなりましたが……というご挨拶をしてばかりのわたしですが
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

早速ですが、1月16日搬入で新刊を出します。
タイトルは「沖縄、シマで音楽映画 『島々清しゃ』ができるまで」。
1月21日に公開になる、映画「島々清しゃ」。
映画の詳細は公式サイトでご確認いただきたいのですが、その映画の企画者であり、音楽監督であり、さらには脚本家でもある磯田健一郎さんによる、映画の「始めから終わりまで」を書いた、書き下ろし作品です。

詳細はこちらからご確認ください。明日には見本が!できあがります! ワーイ!

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さて、ここで振り返っておかないといつ振り返る、ということになりそうなので、ちょっとだけ2016年を。

編集室屋上として、再スタートを切った年でした。
4月には、ずっと念願だったながさわたかひろさんの『に・褒められたくて』を刊行。
過去の作品を集めた本ではありますが、文章はほとんど書き下ろし。
ながさわさんには過去のことを振り返るという大変な作業もしていただくことになり、精神的にかなり追い詰めたと思います……すみません。
でもながさわさんの作品の素晴らしさ、パワーと、それを最大限に引き出してくれたデザイナーの佐藤亜沙美さんのおかげで、渾身の一冊になりました。ほかの本もそうだけど、なんだか改めて「自分で本をつくって必死で売っていくのだ」ということ、再確認したような気がします。

さらに7月には、壺井栄没後50周年記念出版として『二人の手紙 壺井繁治・壺井栄 獄中往復書簡集 昭和五年-昭和九年』を刊行しました。平野公子さんが小豆島に行かれたことでつながったご縁で、意外と思われるかなとも思ったのですが、でも作っていてとても楽しい本でした。当時の二人は30代、今のわたしと同世代といっていい夫婦の手紙は時に厳しい言葉もありながら、あくまでも日常で(といっても夫は獄中なわけだけど)、かわいらしく、この二人のことをこんな風に感じることがあるとは思いもしませんでした。
公子さんから壺井繁治の話を聞いたときに、小熊秀雄の話が出てきて、大学生のときに「池袋モンパルナス」の展示を見に行って小熊秀雄の言葉にたいへん撃ち抜かれたこと、などを思い出しました。思い出しただけですが、そういう小さな衝撃や感動、その積み重ねがいまわたしにこの仕事をさせてくれているような気がします。

そして、「沖縄、シマで音楽映画」。
これから刊行なので、昨年つくったというわけではないのですが、12月には校了していたので、感覚的には昨年つくった一冊に。
この本のことは、また改めてゆっくりと。

というわけで、編集室屋上史上はじめて、年間三冊の本を制作しました。

▼▽▼

正直なことをいえば、今まで生きてきて一番シンドイ一年でした。
子どもの保育園は決まらず、日中は子どもと過ごし、夜や土日、たまに入れる一時保育を使って仕事をする日々。これは本当にダメでダメで、仕事を一緒にしてくれる人に迷惑をかける、こどもにつらくあたりがちになる、不満のないはずの夫にもあたる、体はボロボロ、という、ほんとうに、ひどい日々で。本をつくれたことはどれも誇りだけれど、同時にたくさんの人に迷惑をかけてしまったことは本当に申し訳なく思います。

保育園が決まらない、というけれど、たとえば0歳児から入れるとか、入りやすい自治体に入りやすいタイミングで引っ越すとか、もっと努力できないのか、といわれれば、それまでで、ほかに優先したことがあるというのだからわたしが悪いのかもしれません。でも、「だから保育園に入れない」っていう世の中はやっぱりおかしいし、このおかしいと思う気持ちは喉元過ぎて忘れるのではなく、何か、小さいことでも考え続けることは必要だなと思っています。わがままなのかもしれないけど、子どもと生活するということ、そのなかで仕事をするということについても、もっと選択肢があっていい、あるべきなのだと思います。愚痴ではなく、これからも考え続けるという意思表示として。

こういう日々を通じて、自分に体力がないことも痛感したし、無理はここまで。12月には、胃腸炎もやり、1ヶ月以上風邪が治らなかったり、一年分のあれこれがずーんと体に襲ってきました。もうそのやり方、やめんさい、というお知らせかと思います。もちろん、本はつくりたいし、やりたいことはたくさん、新刊も出してこれから頑張りどきなので、いろいろ方法を考えながら現実を見つつ、がんばっていきたいと思います。

▼▽▼

最後に一つ、昨年いつだったか「月に吠える通信」さんのインタビューを受けました。
自分で話すことって全然面白いと思えないし、「うわーこんなこと言ってるダセー」「言葉がへたで伝わってねー」とかばっかり思って校正もらうと赤字ガンガン入れてしまうし、(そして何より自分の写真が出てると落ち込む 笑)あまりお知らせしていなかったのですが、ふと読み返してみたら、意外と、いままで人に言わなかったようなことを言っていると思いました。出版業界のこととか、本の役割のこととか、ひどい答えをしているんですけれど、でもこれがこのときのわたしの本音です。きっとそのうち変わるだろうけど。
【ひとり出版社Vol.4】よりふさわしいカタチで、表現が届けられる時代になる 『編集室屋上』林さやかさん
(タイトルかっこいいな)

ではみなさま、こんなわたしと編集室屋上ですが、2017年もどうぞよろしくお願いいたします。エイエイオー

林さやか

2017-01-11 | カテゴリー つれづれ, 屋上日記

 

『に・褒められたくて』のこと(いまさら制作日誌)①

ながさわたかひろさんの『に・褒められたくて』を刊行してから半年以上が経ちました。
わたしにとってすごくターニングポイントというか、……あれ、それどういう意味だっけ? 出版を続けるうえでとても重要な一冊です。

最近、いくつかトークイベントをしたり、そのことで久しぶりの友人に会ったりして「どうしてこの本を出そうと思ったの?」と聞かれることが何度かありました。
思えば、そういうことは書いていなかった。って、編集者がそんなこと伝えるのは当たり前のことではないですが、一人でやっている以上、そういうところにもっと意味を感じてもらってもいいのかなと思うこともあり、今更すぎるタイミングではありますが、ながさわさんとの出会いや、作品のこと、そこから本作りのことまで、何度かに分けて書いてみようと思います。

***

ながさわさんと最初に出会ったのは、わたしが野球雑誌の編集をしているときでした。
上司が会議室でお客さんと会っていて、「みんなちょっと来て」と呼ばれたので行くと、そこには野球雑誌編集部にはなかなか現れない、文化系の人がいて、とても大きな作品を上司に見せているところでした。(イラストレーターさんやデザイナーさん、とも雰囲気が違ったので、かなり異色に見えたのを覚えています)

そのとき見せてくれていたのが、初代(?)「プロ野球画報」という作品。
2009年の、東北楽天ゴールデンイーグルスの全試合を、各試合9コマ、それも銅版画で描いた、話を聞くだけで気の遠くなるような作品でした。
それを見て無性にワクワクして、なんかすごい人が来たぞ、と思い、いろいろ質問攻めにしたような気はします。
いま、思い出しながら書いていてハッキリしないのですが(だって、6~7年前……)、その前だったか後だったかに、その作品を展示した個展があり、その知らせも受けていながら、「校了直前だから」という理由で行けなかったことは、未だに後悔しています。その頃は、雑誌の進行がすべてのような生活をしていて、校了直前に行きたいところに行くようなことは、まずなかったのでした。

それから、野球雑誌の編集者としては、ながさわさんに二度、仕事をお願いしました。
一度目は、えのきどいちろうさんに原稿をお願いしたときの挿絵(ナンシー関さんの、後ろ姿を描いてもらった)。
二度目は、2005年の東北楽天ゴールデンイーグルスのメンバーを描いてもらった見開きの企画。

そしてわたしは2011年に退職をし、編集室屋上を立ち上げるのですが、その退職の挨拶のときのメールに「ながさわさんとは野球関係なく、本をつくりたい」というメールを送っていました。
それから、毎年開催されるながさわさんの個展には毎回足を運んで、同じ頃に始めた「東京野球ブックフェア」でもトークに出ていただいたり、と、ほそぼそとお付き合いは続きました。といっても、わたしが一方的な「ファン」であっただけですけれど。

そうして、2014年1月のながさわたかひろ展「に・褒められたくて」に出会うのです。
『美術手帖』での連載や、ながさわさんのブログで「に・褒められたくて」という連作は見ていたし、そのコンセプトを含めて素晴らしい作品だと思ってはいたものの、実際の作品を目にするのはこのときが初めてだったと思います。少なくとも、一堂に会したものは当然初めてでした。

そのときの感情、ハッキリ覚えています。
これほどのものを放っておいていいのか?
これが芸術家の仕事というものなら、わたしは編集者なのだから、これを作品集として世に出すのがわたしの仕事ではないか?
この作品を本にしないなら、わたしが編集者を名乗る意味もないのではないか?

いま文字にするとかなり恥ずかしい、おこがましい言葉ですが、それでもそのときに湧き上がった気持ちが、ながさわさんの「に・褒められたくて」という作品を本にするところまで持ってきました。
言うまでもなく、それだけの力のある作品、展示でした。

つづきます。

 

 

2016-11-21 | カテゴリー 『に・褒められたくて』, 屋上日記

 

壺井栄50回忌によせて 

日付変わって今日、6月23日は、壺井栄の50回忌です。

『二十四の瞳』などで知られる壺井栄は小豆島の出身。島では今年一年、記念行事がいろいろと企画されていて、このたび刊行する『二人の手紙 壺井繁治・壺井栄 獄中往復書簡集 昭和五年-九年』もこのタイミングで島のみなさまにも見ていただくことができました。

小豆島町長がブログの1704回で書いておられるとおり、この本はもともと平野公子さんがわたしに話をくださったものです。
公子さんは編集室屋上の立ち上げを一緒にしてくれた人。(というか屋上のメンバーですから、屋上はひとり出版社ではないですね)
はじめは、やはり『二十四の瞳』の印象が強い壺井栄のことを詳しく知らなかったし、夫である壺井繁治のことは、名前と、活動家であったことくらいしか知らない、不勉強な私でした。
でも公子さんからの話を受けて、この書簡集を本にして出版することに強い意味を感じたのと、なんだか言いようのないワクワク感があったので、詳しくないままに、出版したい、とお伝えしたのでした。
(いま思うと、公子さんからの電話で小熊秀雄の名前が出たことが、決意したきっかけの一つだったような。ちょっとしたことですが)

そして島から送られてきた大量の書簡のコピーには、めんくらいました。
これを、全部、タイピングするのは……むり!!
特に初期の手紙は繁治が獄中でペンの使用を許可されておらず、筆で書かれたもの。はじめに見たのがその手紙だったので、「読めない、読めない、読めない!」と泣きそうになったくらい。
ペンになると、だいぶ読みやすかったんですが(笑)それでも慣れるまでは難儀しました。
そして、やはり自分一人では無理と、数名の方に協力していただいてまずは原稿を起こすことからはじまった本作り。協力者の方も、ほんとうに大変だったと思います。

装丁は長田年伸さん、装画は平岡瞳さんにお願いしました。
長田さんの遊び心もありながら地に足の着いたデザインは400ページ超えの本をしっかりときれいに、また軽やかにまとめてくださいました。
平岡さんにはぜひ木版画で!とお願いして、それがピッタリ。優しくもあり力強くもある平岡さんの木版画が、小豆島の風景を思い起こさせるところもあり、二人の手紙の雰囲気を見せてもくれて。
お二人は30代で、わたしも30代、なんとなく、若い世代で作りたいという気持ちありました。

解説は佐久間文子さんに。じつは記者でいらっしゃる頃からずーっと読者だった佐久間さんに自分が出す本で原稿をお願いできたことは光栄でした、というのは、ほんとに私事ですが、いただいた解説を読んで、私自身この本の姿がすーっと入ってきたような気がします。もしかしたら、最初に読んでいただくとより「二人の手紙」を楽しんでいただけるかもしれません。最後に楽しみにとっておいてもよいのですが。

さて、こんな風にしてようやく出来上がった本です。
書店さんには早い所では6月25日頃から並びますが、取次の関係でだいぶ時間がかかるところもあるのと、まだまだ販売店が少ない状況です。

引き続き、お取扱いいただける書店さん等も募集しています。

そうそう、公子さんたちがスタートした小豆島初のオンラインマガジンも間もなくスタートの様子。
現在クラウドファンディングを行っています。
小豆島発のオンラインマガジン「その船にのって」にご支援をお願いします!
こちらで壺井栄の短編も読めるようになるとのこと、これも楽しみ。

***

今年に入ってからずっと突っ走り続けてきた日々、ようやく一段落です。
保育園は、まだ決まりませーん!

2016-06-23 | カテゴリー 屋上日記

 

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